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群馬の書店から大量注文があったらしい。
いろいろ分析すると、書籍流通の現状と、潜在的な可能性が見えてきます。

『モリさんの狩猟生活』著者のモリさんこと高柳盛芳さんは群馬県在住です。

友人知人は県内に多いので(昭和世代)、とりあえず本を買うなら県内有数の街が確かであろうと、県庁所在地の書店に足を運ぶ訳です。

あそこの本屋なら、あらゆる本があるだろう。世間はそう思っています、まだ。

ところが、毎月の配本は取次という本の問屋が他の本とのバランスを考慮しながら機械的に詰め合わせるので、あまり地域性は考慮されない(タイトルからそれが感じられない限り)。

人口の多い首都圏の大型書店では平積みされていても、著者ゆかりの地方には配本がなかったりします。
そもそも今の日本は、書店のない自治体もたくさんあります。

こういう場合、版元もそこまで考慮していなかったりしますし、売れる根拠もないのに、直感だけで「この本をここに重点配本して欲しい」と口を出すことは憚られる雰囲気もあります。
どの産業分野でもあるあるな事例でしょうが。

だから、読みたい人がいるのに、わざわざ足を運んで買いにいっているのに、品物がなかったりする。

アマゾンの凄さはそこ。
小さなニーズもフォローしている。

でも、地域性というビジネスチャンスにあらためて気づいたその書店は偉いね。
チェーン全体で急遽100冊ほど入れてくれたそうです。
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開墾のときに見つけた野良茶。
ネズミの置き土産かと思いますが、縁に移植しておいたら花が咲くまでになりました。

10本くらい実生苗を増やせば、緑茶も紅茶も自給できそうだ。

執事の爺やに手作り紅茶を入れてもらいながら優雅な午後を過ごせる日はいつか。

あ、その頃は自分が爺やだな。
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子供にナイフやマッチを預けるのは不安なことかもしれませんが、刃物や火を使いこなして作業目標を成し遂げたときの気分は、自己肯定感の涵養につながるといわれています。

つまり自信が持てる人間になる。

ヒトは器用な指先をデバイスに、脳と道具と対象物を複雑に連動させることで、想像という虚像を実際の形にしてきました。

その能力を技術に昇華させ、極地や砂漠など過酷な環境でも生き延びてきました。
そうした知恵の集積が文明で、今の私たちの便利で快適な暮らしも、突き詰めれば道具のおかげです。

刃物と火は人類のマスターツールなのだから、私は子供から遠ざけるのではなく、むしろどんどん使わせるべきと言ってきました。

でも、なかなか教育の本丸までは届きませんね。

最近は「そんなことはどうでもいいや」と思うようになってきました。
「公」に頼る必要なんてない。その大切さに気づいた人たちが自己責任で行動すればよいのです。

自然学校。森のようちえん。アウトドアのプランナー。用品メーカーや販売店。個人としての学校の先生。そして保護者。
子供と一緒に成長を楽しめるいろんな立場の人たちが動けばよいのです。

刃物に対する過剰な反応、また、子供が遊ぶときの声さえうるさいという不寛容な姿勢を示す大人を見ると、とても日本は成熟社会とはいえません。
しかし、力強い援軍が現われました。

写真は岐阜県立森林文化アカデミーと刃物の街として知られる岐阜県関市の共同開発で誕生した『morinocoナイフ』。子供用のポケットナイフです。

ブレード部分はアウトドア用ナイフで知られる石川刃物の製作。ハンドルはヒノキの林地残材から作っています。

森の中で木の枝を削ったり、川で釣った魚のお腹を開いたり、塩焼き用の串も、焚き火の付け木も削れます。

刃物があれば欲しいものを自分で作ることができる。
まさに自己肯定感涵養装置としてのナイフです。

そんなこといったって、学校にナイフを持って行かせられないし、近所にはそんな場所がないでしょ、という声も聞きます。

でも、近くの公園に落ちている木の枝でもクラフトはできます。要はそういう時間を子供と共有できるかどうかなんじゃないかな。
台所だって、火と刃物の扱いを身につけることのできるすばらしい体験の場です。

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ビーチグラス。シーグラスともいいますね。波に揉まれて角が取れているので、貴石のような美しさがあります。
でも、もとはガラス、つまりゴミでした。

このビーチグラスと一緒に海岸の漂着ゴミを拾い、理念に共鳴するお店へビーチグラスのほうを持って行くと、店オリジナルの特典がもらえるという取り組みが「ビーチマネー」。
ちょっと面白い地域通貨です。

JOLA(ジャパン・アウトドアリーダーズ・アワード)のファイナリストになった、エコサーファー(屋号)の堀直也さんが運営事務局をやっています。

海洋プラスチックはたいへんな問題だけど、憤慨だけじゃ便利には勝てない。それに、楽しくない活動は続かない。

とても大事なことを教えてくれる取り組みです。

提携店になるのにお金は要りません。ビーチグラスを持って来店した人に、心意気で何かおまけをするだけ。
持ってくるのはビーチグラスだけでよいので、その人が本当にごみも拾ったのかは確認しようがないのですが、それを信じるのも心意気だとか。

サーファーだけの運動ではなく、農家や内陸のショップも参加しています。
面白い、うちも協力するよ! という方は検索 ビーチマネー でぜひ。

ちなみにビーチグラスは赤とか黄とか混色がレアものだそうです。
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友釣り師の端くれとして、そろそろ確認と整理をしておきたかった、川とアユと漁協の今。
BE-PAL10月号「ルーラルで行こう!」の取材で、たかはし河川生物調査事務所の高橋勇夫さんにインタビューさせていただきました。

高橋さんは、アユを増やすための解決策を提案する日本で唯一のコンサルタント。一度お会いしたかった人です。
全国の川を歩いているだけあって、高橋さんの家で飼っている猫はアユの味の違いがわかるそう。名ばかりのブランドアユだと、においを嗅いだだけでそっぽを向くそうです。

改修費がそれほどかからず、市民がその気になればクラウドファンディングでも資金を捻出できる小わざ魚道。
孵化した仔魚が過ごしやすい海水温までも見越した産卵床の攪乱造成。
冷水病の現状。
水質はよいのにアユの餌の藻類が減っている不思議な現状の仮説。
地域は、これからアユという魚をどうブランディングしていくべきか…。

いずれも興味深い話でした。それはまさに、少子高齢化で存続が危ぶまれている内水面漁協への処方箋であり、川の文化を守っていくためのヒントでもあります。

もうひとつ大事なこと。
放流頼みの増殖をやめ、海と川とを行き来するアユが本来の生活史をまっとうできる環境を取り戻せば、ウナギやテナガエビも増える。つまり流域の生態系全体が回復するということです。

漁協の意識改革には、客である釣り人の声も重要であることを再確認した次第ですが、そのへんはまだまだギャップがあるかなあ。

一度は都会へ出ていっても「ああ、やっぱり生き物のいる川は楽しいね」とふるさとへ帰ってくる若者を増やそうと、高知市の鏡川漁協が始めた友釣り教室(友釣り甲子園)も、なかなか面白い試みでした。
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某種苗会社の調理用トマト。
F1品種(一代交配種)とのことですが、種採りで継続栽培して3年目になりました。

とんでもない色形の実になっちゃうということもなく、味も変わりません。

遺伝の法則でF2ではへんてこな実がいっぱい出てくることを期待。
そこから親品種のキャラを想像する遊びも楽しいかなと思ってたんですが、種採り1年目から親の特徴のまんまで、少々肩透かしです。

でも、味がいいから許そう。

これはこれで親の顔が見てみたいね。
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少し夢を壊すような写真で恐縮です。
ニホンミツバチ、ときどき畑の有機質肥料などを舐めにきます。
これは鳥のふんに来ていた個体。
からからに乾いて舐めにくいのか、なんどもなんどもやってきては、時間をかけて持っていきます。

みんな夏バテ気味だから、きっとミネラルを補給しに来たんだな。
花粉だけじゃ補えなえない成分があるのでしょう。

畑仕事をしていると汗を舐めに来るとか、海藻肥料にも寄ってくるという話も聞きました。

暑さがぶり返しました。
皆様もミネラル不足にご注意ください。
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ひと月前に日経新聞で展開されていた ACの全面広告。メダカの遺伝子汚染の問題を取り上げており、原因には安直な保護活動もあることにも言及。

いい切り口なんですが、広告の常として、白場の美のような省略が働いて、やや説明が消化不良。

解説先のQRコードとか付けるといいのになあ。
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取材先で脱走ヤギの身柄を確保。
どんな種類の草を食べさせてもウメエと言うので、江戸っ子だと思います。
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『やさい畑』でお世話になっているタケイファームさんに教えていただいたフェンネル。ハーブとして植えたことはありますが、野菜として育てるのは初めて。

肥大化した株のところをソーセージとソテーしてみたら、これがかなり美味しい。おすすめです。
キアゲハの嗜好性はニンジンよりはるかに高いようです。私は幼虫を50匹くらい潰しましたが、バタフライガーデン作りたい人はぜひ。
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ヤブカンゾウ。刈り捨てるには不憫なので置いといたら、そこそこの群落になりまして。
若芽も旨いですが、花や蕾のしゃきしゃき、ヌルッとした食感が楽しい。
茹でてポン酢で日本酒が定番です。
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ハマダイコン。古い時代に入った栽培種(が野良化したもの)だとか、もともと野生種だったとかいろんな説があるようですが、私は内陸では見かけたことがなく、ほぼすべて海岸域です。
海岸にニッチを見つけて適応した野生植物ではないかと考えてます。

そして、海岸部でよく見かける理由がなんとなくわかりました。
莢がほぼ浮力体!
船旅のできる種なんです。

栽培種のダイコンも、異様に莢が厚くて固い。カブの仲間とは明らかに繁殖戦略が違います。
原種ダイコンのふるさとはどんな環境だったのでしょうか。

そして、このハマダイコンの種を肥料たっぷり効かせた畑で育てるとどうなるか?
大人の自由研究の始まりです。
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家の中で20匹近いコガネグモを飼っている保存会長さん。

400年以上の歴史を誇る鹿児島県加治木のくも合戦。
試合(大会)日から逆算して発育状況を確認、朝夕2回、1匹ずつ与えている餌のコガネムシを与え続けるか、それとも水だけにして体を絞るかを考えます。

スパーリングもして自信をつけさせたり…。

気分はほとんど格闘技ジムの会長さんですが、そのクモ愛と知識は半端ではありません。
伝統行事などとという言葉ではくくれない、生きものに対する愛着と熱気を感じました。

合戦後は採集地へリリースするのが現在のマナーです。

それにしても家の中じゅうがクモの巣だらけ。仏壇の前にも、ご先祖の遺影にも。

右端に、網にかかってしまった間抜け野郎が写りこんでいます。

                                     〔撮影/藤田修平〕
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本来はどうだったのか――。
このことを知るのはとても大切なことだと思います。

たとえば漬け物。本来は塩と微生物の力で、常温でも腐敗しないようにした保存食でした。発酵の過程で生じる代謝物が乳酸のような防御物質であり、アミノ酸のようなうまみ成分です。
ですから、微生物が関与しない“浅漬けの素”で作った漬け物なるものは、私はサラダだと思っています。

では、お酒における「本来」とはどんなものか。
それは純米酒であり、空中に漂う硝酸還元菌や乳酸菌、さらには酵母をも自然に呼び込んで酒母を育てる生酛(きもと)造りになるでしょう。

生酛の「本来」をもっと突き詰めていくと、今度は木桶という道具にたどり着きます。

多孔質素材の木は、醸造を担う微生物たちの優良なゆりかごです。
表面が平滑なステンレスやホーローのタンクの場合、洗浄した時点で微生物はほぼリセットされますが、木桶は洗っても一部の微生物が微細な孔の内部にとどまります。
つまり次の仕込みの元種の一部となり、蔵の歴史とDNAを真の意味で受け継いでいくのです。

最近の醸造界では、酒に限らず醤油にしても味噌にしても「本来」という言葉が持つ価値に注目が集まっています。
創業××年という数字だけの伝統ではなく、技術もしっかりと受け継ごう、あるいは再興しようと考える蔵元が、多くはありませんが出てきたように思います。

ところが、木桶まではなかなかたどり着けない。

それはすでに木桶を手放してしまって久しいから。同時に、醸造用の20石(3600ℓ)もある大きな木桶を作れる職人がいないためです。

伝統的な大桶を作れる、大阪にある日本で唯一最後の工房は、2020年に生産をやめる宣言をしています。

「本来の醸造」の未来に危機感を覚えた蔵元や桶職人、販売業者が、自ら桶作りの技術習得を目指す「木桶職人復活プロジェクト」(代表=ヤマロク醤油・山本康夫さん)が始まって5年。
木桶復活は、また新たな段階に入りました。

秋田市の新政酒造といえば、きょうかい6号酵母を輩出した歴史ある蔵です。そして近年、この蔵の名声を高めているのが、緻密な酒質設計によってリリースされる21世紀の生酛ともいうべき個性的な酒の数々。

蔵を率いるのは、東大文学部卒でフリーライターという異色の経歴を持つ8代目の佐藤祐輔さん。

佐藤さんが目指しているのが、全量木桶仕込みの生酛です。

目標実現のためには、現状では自分たちで木桶を作る必要があります。
秋田は杉の名産地。どうせ桶を作るなら地元産の杉材で。
木桶で醸すのに相応しい米は、慣行栽培が広まる以前の「本来」の米、つまり有機無農薬栽培米です。

「本来」の地酒に帰る。これが新政の将来展望で、すでに農業生産法人を組織し米作りに着手しています。桶作りの必然として、近い将来は森林の施業にも乗り出すことになるだろうとのこと。

農政や林政に振り回されない再生産可能な米作り・森作り。
これは集落を存続させる基本担保です。
もうひとつの担保は担い手。農山村で若者が働ける場作りです。

価格競争に巻き込まれない日本酒を作り続けるために必要なものは、ロマンと付加価値。すなわちこだわりであり、ストーリーであり、共感性です。

つまり魅力的な日本酒を追究し続けることで、地域そのものを再興しようというのが、佐藤さんの構想です。

今の日本酒の状況は、ひところのひどい味を知っている酒呑みとしては天国です。
しかし、みんなで「旨い!」に前のめりしていった結果、テクニックが収斂して没個性化に向かっているという皮肉があります(あくまでも・・・個人の見解です)。

新政は、日本酒の「本来」を追い求めることで、旨いの先にある古くて新しい価値の存在を示そうとしているようにも見受けました。

関心のある方は、BE-PAL7月号「ルーラルで行こう!」をご覧いただければ幸いです。
なお今号は、付録のスキレットが発売以前からもの凄い反響で、売り切れの書店が続出しているようです。

※現時点でほぼ売り切れのようです。入手ができなかった場合は図書館などでお読みいただけますと幸いです。
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(ちょっとアップが遅くなりましたが)
酒蔵さんの取材で秋田に出張でした。
里は桜の花盛り、野は山菜の出盛りで、帰路はそれを採ったり買ったりもらったり…。
食物繊維摂取強化週間に入ります。
ネマガリタケではない笹のタケノコ(クマザサかスズタケ?)、塩干ししたワラビは初体験です。
日本はまだまだ広いなあ。
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秘密兵器投入から半年。
車軸ローター式という趣味の菜園用マシンですが、これが超有能!

ざっと計算したら、同じ時間で私の7倍の作業能力です。

石器と鉄器の能力差が4倍くらいだそうですから、これは労働革命です(今さらの理解)。

鍬一丁での作業にこだわり過ぎて、植えどきをついつい逃すというこれまでの問題はとりあえず解決。

ワンカップ1本分のガソリン代で、1日疲れ知らずで働いてくれます。

私はすぐにパワーダウン。
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超久しぶりに釣りの同行取材。
泊まりは猪のすき焼きが美味しい農家ペンションでしたが、それよりも放し飼いのニワトリたちが凄かった。
推定150羽を、柵もない環境で放育。しかも山の中で!

品種は聞き忘れましたが、プロテイン投与してるドーピング養鶏じゃないかというくらい筋肉ムキムキで、ヘビなんか簡単に返り討ちにしそうな迫力。

たまに獣にやられるそうですが、だからといって柵も網も設けないのが凄い。

写真撮ろうと近寄ると、飼い主ではない怪しいおっさんには野生のキジくらいの間合いをとって逃げます。

なので写真は猪肉のみ。

岐阜県郡上市・白鳥地区にて。

去年の立教大の受講生(現・文学部2年生)が、授業をきっかけにアウトドアに目覚めたらしい。

GWに人生初のタケノコ掘りにチャレンジしたら、その農家さんは先生のお知り合いでした! とわざわざこのホームページのメールに報告をくれました。

うれしいね~。

この世には自然に関心のある人とない人しかいません。

ない人を、いかにある人にするか。

ジンセイを楽しませてくれる自然への恩返しのような気がします。
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京成電鉄のPR誌最新号は、なんと北総の鍛冶屋特集。

マニアには薄味ですが、鍛冶という仕事が社会に認知される…というか、記憶される意味は大きいね。

千葉県はわりと鍛冶屋が多い県であることも再認識。

ここはエールを送りたい。

鍛冶屋って何でしたっけという編集者さんもちらほらと出てきているご時世ですので。

受験問題に出るタームだけが教養ではないのだね~。

森羅万象に多情多恨たれ。

それが編集者だと言ったのは、たしか開高健。
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わたしは慣行栽培を否定しません。
自分自身にそれを否定できるだけの論拠がない限り、現代科学の出した結論をひとまず信頼します。
でなければ、科学技術の産物だらけの現代を生きていくことはできません。

けれど、性善説者ではないし、用心深い性格でもあります。

慣行栽培は否定しませんが、ほかによりよい選択肢があり、その生産物の値段がもの凄く高価だとか、希少で手に入りにくいといったハードルの高いものでなければ、そちらを選びます。

秋田県で有機JAS認証の農薬不使用栽培に取り組む兎澤さん。
丹精のリンゴが今年も届きました。

下記のホームページに作り手の想いが書かれていますよ。
果実庵とざわ
 (Click!) 
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カーボロネロ。『やさい畑』誌でお世話になっているタケイファームさんに教えていただいた冬野菜です。
ケールの変種とのこと。面白いでしょ
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木が軟らかい生のうちに、ナイフやセン、足踏み轆轤などで削って器を作るグリーンウッドワーク。

前からとても興味があったんですか、取材を機にその面白さを再認識。

というわけで、モーラのカービングナイフを購入。

いくら生でも、こいつは硬いから無理だろうと思っていたウバメガシもサクサク。
むしろキンモクセイなんかより削りやすい。
知られざる木の個性も発見できるセンサーですね。
樹種ごとに異なる香りや、ひんやりした手触りには木の生命感もあります。

子どもたちの刃物入門には、やっぱり生木がいいなと確信。
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エディブル・スクールヤード。
世界中に広がりを見せている教育プログラムです。

日本では学校食育菜園、あるいは“食べられる校庭”などと訳されます。

カリフォルニア州バークレーにある人気有機レストラン『シェ パニース』のオーナーシェフ、アリス・ウオータースさんが地元の中学校と始めた、作物栽培と料理を軸にした統合的な学びです。

もともとは、ファストフード漬けの食生活で社会性を身につける機会を失したまま大きくなってしまった貧困層の子供たちに、食べることの喜びと意味、命の循環、共同でものごとにあたることなどの大切さを教えるプログラムでした。

取り組みが進むにつれ、思いもよらぬ成果が相次いで発見されました。
野菜を育て、食べることには、理科や数学、歴史、芸術など多くの教科につながる高いデバイス性があり、環境問題、社会問題など、今日的課題を肌で理解するうえでも有用であることがわかってきたのです。

横断型の学びであり、自ら実践して感じ取る学びです。

バークレーの軌跡の教育と言われたエディブル・スクールヤードは、日本でも数年前からスタートしています。

主催者は、エディブル・スクールヤード・ジャパン。現在、東京都多摩市立愛和小学校などを中心に、半ば手弁当ですがチャレンジングな活動を続けています。

それって食育のことでしょ。
食農教育っていうのものあるよね。
総合学習でも似たようなことやっているんじゃないの?

よく言われることだそうですが、
私が見た限り、エディブル・スクールヤードは、これまで日本で展開されてきた料理・農作業・生き物を使ったどの教育とも違います。

日本の食育は、健康管理を目的とした教育です。
食農教育は、ある意味で農業という産業への理解を求める教育です。
その想いや意義(功)はもちろん理解できるのですが、現代農業が抱えている矛盾――端的に言えば農薬や化学肥料などの「陰」の部分に、きちんと向き合っているようには見えません(個人の感想です)。

エディブル・スクールヤードの根底にあるのは、物質循環や生物多様性といった自然の摂理です。重視しているのは地球の視点、つまり持続可能性なのです。

これはちょっと面白い動きです。
こうした視点、知識を身につけた子供たちが大人になっていけば、経済や政治のありようだって少しずつ変わることでしょう。

大事にしたい芽だと思いました。

詳細は、現在発売中の月刊BE-PAL11月号(小学館)の「ルーラルで行こう!」で読むことができます。
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「こんなものしかないけんど」と素敵なご馳走をいただきました。

土佐名物の田舎寿司。
ミョウガにコンニャク、干しシイタケ。農山村ならどこにでもある食材が、ひと手間かけただけで、こんなキュートな一品になる。
魚の切り身がのっていないのに、握りずしの名店に勝るとも劣らないビジュアルです。

飾りのバランにも注目。
ビニールじゃありません。
庭に植えてある葉蘭を、お母さん自身が包丁で切ったそうです。
右のエビは、家の前を流れる清流で捕ったテナガエビの煮物。

至るところに暮らしの美意識を感じます。
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庭菜園誌『やさい畑』でお世話になっているタケイファームの武井敏信さんからいただいたフィレンツェナスの種。

自分で苗を作り、種とりして二年目のわが家2世が、収穫の盛りを迎えました。
豆腐に例えると絹ごしのような舌触り。皮が柔らかい。

このイタリア品種を知ってから、東洋系品種を作るのをやめたという武井さんの気持ちがよくわかります。

定番はオイルソテーしてパルメザンチーズと塩胡椒でいただくシンプルレシピ。どんな酒にも合います。
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8月7日の日経社説。奈良公園のシカの頭数調整について触れてます。
自然保護団体と動物愛護団体の違いがわかっていないようなのが残念です。
生態系に影響を与える生き物の捕殺現場になにかと圧力をかける人たちの問題意識は情動であって、科学ではないと思いますよ。
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越前打刃物の栄華を語り伝える問屋の看板です。
武生の地場産業は今も刃物。でも、昔の規模は遥かに大きかったようです。
今日は別な用向きで来ましたが、金っ気にはすぐ体が反応します。
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今日の立教大はゲストスピーカー授業です。
隣町、千葉県神崎町に340年続く酒蔵、寺田本家24代目当主の寺田優さんに出講していただきました。
テーマは目に見えない自然であり、私たちの体の内なる生態系でもある「微生物」の世界と「発酵の知恵」について。
酒づくりの映像を収めたDVDと、試食用の麹も持参いただき、リアルな授業に(法被も着てます)。

日本酒&発酵食品ファンが確実に増えましたね。

それにしても、デンマークのあの『ノーマ』でも麹を仕込んでいるって話にはたまげた!
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ネギやニラはとうが伸び始めると花が咲いて種子ができますが、ニンニクは花も種もつかず、小さなむかごのようなものができます。
ええ? それじゃ植物本来の遺伝的多様性は守れないのでは??

気になったので『園芸植物大辞典』をひっぱりだしてみました(重いんだな、これが)。
結論からいうと…一概に言えない!

基本的に小さな花はつくそうです。ただ、ロシアで栽培される一部系統を除いては不稔(つまり花は咲いても種はできない)で、総苞(ここでは膨らみとしておきます)内に種芽(むかご)を混生させます。
小さな花ができないまま、種芽だけができるものもあるそうで、私が育てているニンニクはこのタイプのよう。

おそらく、品種分化の過程で花が退化する方向に持っていかれたのでしょう。

ニンニクの原産は中央アジアだそうですが、興味深いことに栽培種しか残っておらず、野生の原種は知られていないのだとか。

ふと思い立って、庭に生えているノビルを観察してみたら、先端に複数の小花がつくと同時に、その付け根に種芽も確認できました。
ノビルは種子繁殖と栄養繁殖のWの生存戦略をとっているようです。

で、写真のニンニク。じつは3年前に隅の草地に肉芽を投げ込んだままほったらかしにしていたものです。今年は手塩にかけたニンニクは病気で葉が黄色くなってしまいました。皮肉です。
ワラビにも負けずすくすく育っています。
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かつてはノウサギさえ通れないほど篠が密生した耕作放棄地でした。
7年前からコツコツ再整備を始め、今年ようやくすべての篠の処理を完了。
面積は1反5畝(450坪)。これから本格的な土づくりです。
まだ畝より草地空間が多く、遊びに来た友人から「キャンプ場?」とよく言われます。
今日も筋肉をたくさん使ってビールがうまい。

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いつもお世話になっている千葉県神崎町のNPO法人日本自給教室、に鍛造マシン「スプリングハンマー」が移送されました。
廃業された野鍛冶から譲り受けたものだそうです。
農繁期なので設置作業は冬になりそうです。しかし重い…。
本業の締切りは守るのですが、ブログの更新がなかなかできません。
前回からだいぶ間が空いてしまいました。
もしときどき立ち寄ってくださる方がいらっしゃたらごめんなさい。
弊社、マイペースながら営業しております。

さて、立教大学春学期授業がスタートしました。
アウトドアの知恵に学ぶというタイトルでは3年目、自然環境と人間というタイトルでやっていた時代を含めると9年になります。

受講登録者数は280人。選択動機はさまざまですが、アウトドア経験はほとんどないけど、自然や自然との向き合い方には関心があるという学生が多いです。

また、近年の傾向として、親がキャンプや釣りなどが大好きで影響を受けたという学生も多いですね。

ブームだファッションだと言われ続けてきたアウトドアですが、自然を謳歌し慈しみたいという感覚は、文化として根をおろしつつあるように感じます。
アウトドア界で長く活動してきた方々は、胸を張っていいと思います。

さあ、この若木をこれからどう育てていきましょうか。
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大阪高槻市にあるJT生命誌研究館には大きな「曼陀羅」が飾られています。
インタビューをさせていただいた所長の中村桂子さんによると、同心円の中心にあるのは受精卵だそうです。外側に行くにつれ、細胞、組織、器官、個体、種、生態系というふうにつながりが複雑になっていきます。つまり生命の進化の過程と生態系を意味しています。

生命誌とは、地球規模の歴史を織り込みつつ、生命という存在の構造や意味を俯瞰したりクローズアップしていく学問だそうですが、役割のひとつとして「わかりやすく伝える」こともあるのだとか。

科学論文は、音楽で言えば楽譜。普通の人に見せたってわかりません。
その内容を噛み砕いて伝えるには、演奏家のような役割の人が生命科学の世界にも必要。

ということで、同研究館には、出版社や菓子メーカーの付録担当のようなセクションがあり、難しいと敬遠されがちな進化の歴史や生命のしくみをわかりやすく伝えるアイデアを日々研究しています。

件の曼陀羅ですが、じつは京都・東寺の弘法大師曼陀羅からヒントをもらったのだとか。東寺の曼陀羅の真ん中におわすのは大日如来。そのまわりに様々な役割を持った仏様がいて民衆を救済するという仏教的世界観を、文字の読めない人たちにもわかりやすく示しているそうです。

なるほど~。曼陀羅とはそういうものなのか。弘法大師空海、やっぱりただ者じゃないね。

※このお話は『月刊サライ』1月号「サライインタビュー」で読めます。
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有楽町で開催されたふるさと回帰フェア、盛況でした。
地方にすみたい人、かなり殖えてますねえ。参加自治体もおおく、支援制度も手厚くなってます。
個人的によいなと思ったのは日本政策金融公庫の起業支援制度。地方で業を起こしたいけど、担保も実績もない若者の熱意にとことん寄り添おうという姿勢がよい。
写真の殊勲賞は、新潟市のハッピーターン。座布団3枚です。製菓会社公認だそうです。

銀座で晩餐会。似合わねえ~という声があちこちから聞こえて来そうですが、隠れ蜂蜜マニアなおっさんとしては、見逃せないイベントでした。

アルケッチャーノ奥田シェフの東京の拠点、山形サンダンデロでの蜂蜜料理を味わう集い。バングラデシュのマングローブの蜂蜜、アラスカの白夜の1か月しか採れない蜂蜜、瀬戸内のレモンと蜂蜜の組み合わせなど、好奇心を多いに満たされました。

蜂蜜=デザートというのは魅力のほんの一面に過ぎませんね。肉や魚、スモークとの相性もバツグンです。

奥田シェフとは7年ほど前にインタビューさせていただいて以来ですが、記事の内容や掲載号を私よりも詳しく覚えておられ恐縮。

盛岡の養蜂家、藤原さん親子もこられていて、昔、取材のときに腕相撲をした思い出ばなしなどをしばし。
東大大学院でニホンミツバチを研究している娘さんとは去年新宿で開催されたESDの会合で偶然お会いし、論文をいただいていました。

懐かしい、そして新たな方々との出逢いをつくってくださった高安さんありがとうございます。高安さんにお引き合わせいただいた苺さんにも感謝。
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山手線某駅の青森県直売イベント(自称)で偽装を発見してしまう。
八甲田山でとれた天然のオニグルミって…
明らかに栽培品種の菓子グルミ(手打ちグルミ)❗

どうやって割るんですかと聞いたら、百均のクルミ割り使うとそのままで軽く割れますとか。

地元産であることには間違いないだろうけれど、
天然のオニグルミと表示するのは、原木マイタケを天然マイタケというのと同じ。

作為のあるなしは別にして、こういう商売が通じる時代ではない。
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fbで知り合った佐渡のHさんからいただいていた『佐渡の釣り今昔』(中堀均著・私家版)。ようやくまとめ読みできました。

著者は地元生まれで小木の民俗博物館に勤めていた方だそうです。博物学者の視点から地元の職漁や遊漁について書き綴ったもので、住民と同じ目線の、平明で素朴な書き方に好感が持てます。

学術的な記録では往々にしてそぎ落とされてしまう「こく」と「雑味」にあふれています。なにより貴重なのは、同じ時代に生きた人だけが書ける民俗証言であること。
釣りや網の糸が麻だった時代、漁師の最も大切な仕事は糸をよく干し、腐らないようにすることだったという話など、今では想像もつかないことです。
予想以上の内容の濃さでした。

佐渡ではイシナギをオオイヨという。オオイヨが釣れだす6月頃に割くホタルブクロは、オオイヨ花と呼ばれる。大きなものだと200㎏を超えるイシナギを釣るためのハリは、鍛冶屋に注文する人が多かったが、火箸などで自分で作る人もいた。

佐渡は桐箪笥の産地として知られたが、箪笥には使えない端材は、網を浮かすアバ(浮木)やイカ釣りの疑似餌に使われた。

アラの1本釣りが盛んだった時代、どの家にも「山あて帳」があり、それぞれ自分しかわからない記号で釣れた場所を丹念に記帳していた。

秋のアブラメ(クジメ)は焼き干しにするとすばらしいだしが出て、とろろいものだしはアブラメに限るという人がいる。

タコさすり(タコ釣り)は上手な人になると鍋に火を付けてからとりに出る。湯が沸き上がる頃には捕まえてくる自信があるからである。

こんな魅力的な記述がいっぱい。佐渡の潮風を吸いに行きたくなりました。
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風と土の自然学校(山梨県都留市)『ネイチャーライティング講座』の講師を担当させていただきました。
先月は東京・西日暮里での基礎講義と、谷中商店街でのミニ演習。

今回はインタビューの実践講座です。
取材対象は、風と土の自然学校代表の梅崎靖志さん。
今の自然学校を立ち上げるまでの道のり、自ら実践する自然農のしくみと考え方、移住と子育てについて…。
さまざまな視点からお話を伺いました。
この録音素材を基に、自分が最も興味深かった部分に絞り込んで規定文字数の文章に仕上げる、というのが宿題です。

講評は文章添削のプロ、耕文舎の赤羽博之さんが担当します。
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小学館発行のアウトドア月刊誌『BE-PAL』が、今発売中の7月号で創刊35周年を迎えました。
私は創刊7年目から参加しています。28年も書いていることになります。フリーランスはさまざまな媒体の仕事を請け負っていますが、BE-PALは今の私の自然観、ライフスタイル観を形成してくれた雑誌でもあり、格別な感慨があります。

最初の取材は、今でも忘れはしません。ミミズ養殖の取材でした(笑)。
若かったので、ごみのポイ捨て現場24時間張り込みルポ、なんていう体当たり企画もこなしました。
その後、「新・田舎人」という、今でいうIターン者のインタビューもちょくちょく担当しました。新・田舎人は流行語にもなりました。
いつしか連載も持つようになり、自然素材の生い立ちをたどる「天然素材考現学」、地方色あふれる釣り文化を訪ねる「太公望の杖」などを企画。
エコロジーの時代に入った90年代は「マザーアーストーク」というインタビュー・シリーズを担当しました。ボノボ(チンパンジーの仲間)の研究者ジェーン・グドールさん、パタゴニア創業者イヴォン・シュイナードさんなど、錚々たる人物を取材できたことは今でも貴重な経験です。
自然派化粧品・ボディーショップの創業者、アニータ・ロディックさんを取材したときは尿管結石に悩まされている最中で、インタビュー中に発作が起きてしまい、脂汗を流しながら必死で話を聞いたことを覚えています。

白神山地が日本で最初に世界遺産(自然遺産)に登録されたときは、当時の環境庁長官とキャンプをしながらインタビュー。拳銃を持ったSPに守られながら、国務大臣と一緒にタープの下でお酒を飲むという、これまた貴重な経験をしました。

その後、仁淀川の川漁師、奥利根の猟師、紀州の炭焼きなどの聞き書きを担当。2004年からは「地方の風」をとらえた地域活性企画「ゲンキな田舎!」を10年続け、現在の「ルーラルで行こう!」へとつながっています。

同じく10年超えの長寿企画が、奥山英治さん、阿部夏丸さんらとユニットで担当した「雑魚釣りニュース」。毎度ばかばかしいお笑いを…的な企画でしたが、水辺の生き物との遊び方をここまで面白くできるのは、われわれ雑魚党だけだという自負が、今でもあります。

おととしから始まった「フィールドナイフ列伝」は、この7月号、種採り農家の岩崎政利さんの鎌のお話で終了。次号より、まったく新しい企画に挑戦します。

現在発売中の7月号道具特集の中では「よい道具は植物と鉄でできている」と題して、職人が手づくりする一生モノの刃物や籠などを紹介しています。連載ルーラルで行こう!は、なんと「樹木葬」がテーマ。日本生態系協会が始めた、生物多様性に配慮した墓苑と、葬送の今について取り上げています。

今後ともよろしくお願いいたします。
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市民が出資したお金を、志の高い事業者・起業志望者に融資するソーシャル・バンク。東海地区で活動を続けてきた『momo』が、昨年秋に10周年を迎えました。遅ればせながらおめでとうございます。

総会には一度も出席したことがありませんが、私も1口出資しています。

麻生政権時代、国民ひとり1万円ずつ、定額給付金という名の税金がばらまかれました。ポリシーのない政策から出てきた、貰ういわれのない、どこか気持ちの悪いお金でした。
取材でmomoの活動を知ったとき、この1万円はこういう取り組みに使えばいいんだと気づいて出資しました。

返していただくつもりはないので実質的には寄付ですが、寄付との大きな違いは、つながりを感じられることです。毎年総会の案内や事業活動報告をいただいています。あんなにポリシーのなかった1万円が、きれいにロンダリングされ、みごとな生き金となって働いてくれていることをうれしく思います。

NHKの朝ドラ担当はん、加野銀行の次は、市民バンクだす。
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先掛けは、磨り減った鍬の刃先に地がねと鋼を付け、再び道具としての命を吹き込む野鍛冶伝統の技術。新品の鍬の半分くらいの値段で同じ機能に戻るので、非常にお得なシステムです。今の時代なら、一生涯どころか3代くらい使えるはず。愛知県豊田市香嵐渓の足助屋敷内にある廣瀬重光刃物店にて。
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月刊BE-PALで私が連載する『ルーラルで行こう!』は、一次産業の新しいうねりや、都市で芽生えつつある“自然目線”な取り組みの先取りルポです。いま発売中の3月号では「海藻農法」を取り上げています。
株式会社海藻研究所の新井章吾さん(写真)が提唱されている古くて新しい栽培技術で、資材は海岸に打ち上げられたホンダワラのような非食用海藻です。

これらの海藻を野菜の株元に置くだけで、作物が元気に、しかもおいしく育つというのです。
えっ? そんなうまい話があるのか? あるんですね。秘密は海藻に数多く含まれている微量元素。

作物の必須三大栄養素といえば窒素、リン酸、カリですが、私たちが糖質やタンパク質、カルシウムだけでは生きられないように、植物体内の各種酵素がスムーズな活動を行なうには、鉄、マンガン、ホウ素、亜鉛、コバルトなど多種多様なミネラルが必要です。
植物の生理メカニズムにはまだ知られていないことが多くあります。アミノ酸のような有機化合体も根から直接吸収できることが知られるようになったのも近年です。

生命は海に溶け込んでいる各種元素の組み合わせから偶然生まれました。ふだんあまり意識することはありませんが、私たちの体の構造も、命を永らえるシステムも、元素の出し入れで成り立っています。
食べる、生きるということは、見方を変えると元素をめまぐるしく循環させる行為なのです。

要求される元素の種類や量は、生命体によって異なります。とくに多く必要な元素もあれば、ごく微量でよいけれど欠かすことのできない元素もあります。地球上のほぼすべての元素が存在する場が海であり、生命体の中でも多種多様な元素を含んでいるのが海藻だと、新井さんは言います。

生態系は、これら元素のやりとりが自律化されています。足りなくなれば巡り巡って自然に補給されます。農業は森が100年単位で築く生態系の法則を1年に凝縮したものといえますが、栄養=元素の持ち出し量が多いため、何らかの形で補ってやらなければなりません。三大栄養素については意識されていますが、抜け落ちがちなのが微量元素の存在です。
海藻を施用した圃場では、生育が旺盛で病害虫に強く、味もよくなるという共通の結果が、ミカン、ユズ、サクランボ、米、ダイコン、葉物野菜などにおいて確認されています。とくに、三大大栄養素である窒素、リン酸、カリ肥料を投入しない、いわゆる無肥料栽培で顕著な効果を確認できるそうです。

海藻のこのような肥料効果は、最近発見されたわけではありません。海辺に近い農地では昔から経験的に知られていました。北欧では荒れ地を牧草地や農地に改良するため何世代にもわたって海藻が投入されました。
その循環の知恵は、社会の近代化に伴う金肥(購入資材)の発展により忘れられてしまいました。

一方、現在の漁村では、荒天のたびに漂着するホンダワラやアナアオサのような非食用海藻は、漁港機能を阻害する厄介者として焼却や埋土処分されています。
とくに内湾や汽水湖のような半閉鎖型の海域は、農地から流れ込む窒素やリンの影響で海藻が繁茂しやすい環境にあります。
栄養を吸収して大量発生した海藻をそのまま放置すると、分解の過程で猛毒の硫化水素ガスが大量発生し、水域の漁業資源のみならず、生態系にまで悪影響を及ぼします。

海藻をもう一度肥料として活用することは、有機農業に新たな価値・展望をもたらすと同時に、海―里―山の循環を再生し、漁業や地域の自然が抱える社会的な課題を解決する手立てにもなるといいます。

私も、この春から試験栽培を始めてみようと思います。
ちなみに、海藻は鋤き込まないことがポイントだとか。土の中に入れると微生物が急激に活性化し(微生物も大喜びするのです)、あっという間に分解してしまうためです。少しずつ切らさないように効かせることがポイントだそうです。
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ここ数年、とくに直近になって「腸内フローラ」が大きくクローズアップされています。年末年始のテレビ番組だけで3本ぐらい見た気がします。
私たちの大腸には種類でいうと少なくとも数百種、個体数では1兆個もの微生物が棲んでいて、私たち宿主の健康は、それら微生物の関係性、つまり生態系的メカニズムに左右されているというものです。

腸内フローラは自律神経や免疫機構とも深い関わりを持ち、感情などの精神面にも影響を与えているというから驚きです。そこでポイントとなるのは、微生物がどのような関連性のなかで活動することが、私たちの健康にとってよいことなのかということです。

その普遍的メカニズムに早くから気づき、自社の取り組みの中で発信してきた会社があります。私の家からいちばん近い酒蔵、千葉県神崎町にある寺田本家です。
寺田本家さんは、これまで何度か取材をさせていただいていますし、客としてもちょこちょこおじゃましていますが、今回は「腸内フローラ」という酒蔵取材らしくない視点でお話を聞かせていただきました。

発酵と腐敗の定義は、人にとって有益な微生物活動であるか、有害な微生物活動であるかの違いだけです。腸内フローラの関心もここに集約されます。
善玉菌と悪玉菌という言葉があるように、従来、善が悪に打ち勝った状態が「発酵」と位置付けられてきました。しかし、腸内フローラのメカニズムを見ると、私たちのおなかの中のしくみはそんな単純な二項対立論ではできていないらしい。
弱肉強食のようなわかりやすい戦いではなく、そこにはどうやら調略も同盟も和平交渉もあるようです。いわゆる善玉菌がよい政治力を発揮すれば悪玉菌は沈静化して発酵になり、腸内での指導力が衰えると腐敗になる。その指導力を決めるのが、食生活を中心とする私たちの選択行動です。

「蔵に棲む菌を単純に善玉と悪玉に二分して論じてきた酒造りの常識も、ひょっとすると少し違うのではないか。
競争で活性化されると信じられてきた経営も同様で、重要なのは共生ではないか」と早くから論じていたのが、先代当主の寺田啓佐さんでした。

酒造も経営も自然に謙虚に学び、自然にまかせることがいちばんであることを、過去の苦い経営経験や大病の中で気づいたのです。
米を全量無農薬米、醸造方法を江戸時代からの生酛(きもと)造りに替えたのもそのためです。味の技術を競い合うコンクールとは縁を切り、自然に委ねる健康志向の酒に蔵の未来を託しました。

その後、世間では塩麹や酒粕ブームに沸き、発酵が大きな社会的ムーブメントになりました。搾取性を含んだ商品やサービス、つまり競争を前提した消費経済を否定する「エシカル消費」(倫理的消費)も世界的に注目されています。
『田舎のパン屋が見つけた腐る経済』のように、経済や生き方のありようを微生物から学ぼうという本がベストセラーになったりしています。

3年前から蔵の経営を継ぐ24代目の寺田優さんが今見据えているのは、酒を柱にした総合発酵業です。日本酒や派生製品の製造販売にとどまらず、発酵型のライフスタイルや共生思想を前提としたあらゆる活動を仕事に結び付けようというものです。

微生物が私たちに教えてくれていることは、おそらくまだほんの一部。関心のある方は、今発売中の小学館月刊BE-PAL2月号『ルーラルで行こう!』をご覧いただければ幸いです。
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11月22日は房総のむらでお勉強。以前、世田谷区の民家園におられた学芸員のSさんがいつの間にか移られていて『千葉県の鍛冶屋』の企画展をされていました。鎌づくりの実演があるので見に来ませんかとお誘いがあったので行ってみたらすごかった。
向こう鎚を持つ先手も野鍛冶さんで、互いに初対面。ふたりして「フイゴ使った手打ちなんか50年ぶりだあ」といいながら、ぴたりと息のあった作業。右端の後ろ縛りのおじいさんも野鍛冶で、さりげなく炭の補給をするなどサポート。この3人の技術会話がとても面白かったのですけれど、レベルが高すぎ深部まではついていけませんでした。もっと勉強せよということでね。
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フェイスブックにボラの味の話題をあげたところ、予想外に食いつきが多かったので懐かしの写真とともにブログにも張りつけます。

今から約20年前の利根川河口の風景です。長い長い釣り竿と(手前の人の竿はなんと1本ものの真竹)、赤い風船の疑似餌をつかった冬の掛け釣りは風物詩で、最近はよくわかりませんが、この頃は仕立て船もありました。

地味なテーマ専門の私は、じつは『竿をかついで日本を歩く』という釣りの本も出しているのですが(98年刊行、現在絶版)、この中で当時まだ利根川では盛んだったボラ釣りをルポしつつ、食味については「微妙」と評しています。

浅海に接岸する魚の中では大型で、群れで行動するため漁獲量も多いボラは、かつてはどの地域でも重要な資源でした。能登のボラ見櫓はその象徴です。江戸の魚類図鑑『魚鑑』は、ボラについて泥臭くなくして甚だよし、と書いています。

成長につれ名前の代わる出世魚として一目置かれ、若魚の呼び名のイナは、粋の代名詞「いな背」の語源です。伊勢参りの精進落としのごちそうとされた「伊勢鯉」は、ボラのことだったそうです。

しかし、そんなボラの評価は戦後一変しました。生命力の強い魚ではあるがゆえに、水俣病や四日市公害問題の際は負のシンボルフィッシュとなり、釣り人からは釣っても臭くて食べられない猫またぎと蔑まれるようになりました。

そんな状況の中でも、田舎には高度経済成長以前の、きれいな水環境で育ったボラの味を知るじいちゃんたちがいて、写真のように釣りを楽しんでいたのです。

でも、じいちゃんたちは、ボラの味がもう昔と今とでは違うこともよく知っていました。
肥料袋にいっぱい釣ったボラを「どうするんですか」と聞くと「子供も孫も箸をつげねがら、畑の肥やしにすんだよう」と寂しく語っていたのを思い出します。
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安保法案にも今の政権の姿勢にもNOです。
でもね、誰々を落選させろ、○○を支援する企業の不買運動を起こせ、自分の意に添わない主張(報道)をするヤツ(メディア)を叩け! 的な声には肯首できないな。
右でも左でも、知らない人でも、たとえ親しい友人であっても。

吉野川第十堰問題のとき、徳島の人たちがとった「賛成でも反対でもよいから住民投票に行こうよ!」という呼びかけの姿勢こそが民主主義だと思います。

そのときの誠実で地道な呼びかけ運動が、のちに買い物難民の実態把握につながり、移動スーパーとくし丸という画期的なソーシャルビジネスを誕生させた。
おととい(9月17日)、国会前デモニュースとカンブリア宮殿を交互に見ていて感じたのは、情熱の活かし方です。

とくし丸社長・住友達也さんの回想のところで、懐かしい人の顔写真が出ていました。姫野雅義さん。ダムファイターとして名を馳せた姫野さんですが、怒りのエネルギーは長続きしないことをいちばんよく分かっている人でした。
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東作の松本三郎さんが亡くなったそうです。
天明8年創業の江戸和竿総本家6代目です。

レジャー時代が到来した高度経済成長期。釣り竿産業は企業化さえも視野に置けた成長分野でした。一瞬の間ではありましたが、東作もシマノやダイワのようになれるチャンスがあったのです。

まもなく訪れたのが素材革命でした。化学素材のグラスロッドが市場を席捲。天然素材の竹竿を軸足に釣り用品の総合企業を目指していた東作は、足払いを食らったかたちで倒産の憂き目に遭います。

年若く、まだ和竿部門の一職長でしかなかった三郎さんは経営責任を免れました。
その後は、ひとり竹と漆に向き合う道を進みます。
ひとり精進を続け、名門東作の名に恥じない作品を出し続けます。

享年95。徒弟制時代の竿づくりを知る最後の職人だと思います。
このような職人はもう出てこないでしょう。
三郎さんの口調や物腰には、いつも江戸文化の残り香のようなものが漂っていました。

思い出はたくさんあるのですが、私がいちばん驚いたのは「手拭き」という塗りの技法です。
刷毛ではなく、親指と人差し指の間の柔らかい股のところで漆を竹に刷り込むのです。
慣れれば素手で触れてもかぶれないというのも驚きでしたが、人間の柔肌がいちばんきれいに塗ることができると聞いて、いたく感動したことを覚えています。

晩年に聞き書き形式でまとめたさせていただいた『竹、節ありて強し』(現在は『江戸和竿職人、歴史と技を語る』という題名で平凡社より販売)は、私の宝物のひとつです。
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『ぼくは猟師になった』で、狩猟に再び光が当たるきっかけを作った千松信也さんの新刊が出ました。今回の『けもの道の歩き方』(リトルモア刊・1600円+税)は、罠猟師の目から見た自然の話です。
近年の「狩猟やろうぜ!」というブームの火つけ役のおひとりではありますが、ご本人自身は、そんな気負いはまったくありません。

前作もそうでしたが、生々しいことも、重いことも、楽しいことも、さらりと書く人です。軽いエッセイなのかというとそうでもなく、淡々とした中に、非常に深い問題提起がいくつも投げかけられています。

たとえば、ブナ科の大木を立ち枯れさせてしまうナラ枯れ病の広がりが問題化しています。千松さんは、そもそも虫に枯らされることは悪いことなのだろうかと問います。
かつてナラ枯れがないように見えたのは、壮年木のうちに伐採して利用されていたからではないのか。つまり人が森の新陳代謝をはかっていたから目立たなかったのであって、いまナラ枯れが顕著なのは、切らずに老化するまで放置してきた結果ではないか。木を使わなくなっていることに問題の本質があるのではといいます。

千松さんは、数年前からニホンミツバチを飼うようになりました。今まで何の役にも立たない木だと思っていたカラスザンショウに蜂が盛んに訪花する様子を目の当たりにして、森という存在の見方が大きく変わったといいます。
「いろんな生き物のつながりを意識して、実際に森に入って暮らしてみないとわかたないことはたくさんある。動物の命を奪ったり、木を切ったりすることは自然を壊しているようにも思えるかもしれないが、僕は本当に自然を破壊するのは、森とのかかわりもないままに自然保護だ管理だといっている人たちだと思っている」

今の狩猟を取り巻く、ちょっと過熱気味の昂揚感にもひと事モノ申しています。
「動物をさばけるからといって偉いわけではないし、猟師だけが命の大切さを知っているわけでもない。狩猟の素晴らしさばかりが強調される昨今の風潮はちょっと気持ちが悪い」

スパイスがほどよく効いた端麗な文章。それがこの狩猟本の味です。

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朝日新聞マムズスタンド主催、ビクトリノックス・ジャパン協賛の『ママたちと考える手先と道具の使い方』というイベントを覗いてきました。
俳優のつるの剛士さんと、脳科学者の篠原菊紀さんのトーク、かなり深いものがありました。
刃物を使うときのような、緊張感のある作業ほど脳は活性化するそうです。心を込めると(集中してやると)さらに活性が高まるのだとか。
篠原先生は、褒めることも子供の脳の活性化には大事だといいます。しかし、気をつけなければいけないのは、素質や才能ではなく、子供の努力や行動を褒めること。素質や才能ばかりを褒めると(天狗になって?)、だめになっていくそうです。
やる気の素は報酬系に働く快楽物質のドーパミン。小さいうちから刃物を使わせたり、野外で遊ばせることは、ドーパミンの分泌を健全化するためにもよいようです。
私たちが直感で大事だと感じていたことを、科学が具体的に裏付けてくれる時代になりました。
ライターと兼業で春学期担当している立教大学の授業「アウトドアの知恵に学ぶ」の成績評価が終わりました。
受講者は池袋、新座の2キャンパス合わせて500人ちょっと。私の場合はレポートと筆記試験の二本立て評価なのですが、レポートだけでもひとり1200字くらい書いてきます。1日に読めるのはせいぜい50人まで。それ以上は読んでいるうちに目がくらくらして、気力体力が持ちません。課題を出したこちらが逆に試されているような気分です。

出席をとらないし、レポートも面倒なことを課しているわけではないので、学生諸君の間では「落単授業」(楽勝で単位が取れる)と噂されているようです。
ほかの先生方の授業とのバランスを欠いているかもしれないとすれば、問題で恥ずべきことなのかもしれませんが、私はそれでいいと考えています。
頭だけで覚えたことなんて、人生、何の役にも立ちませんから。大事なのは感じることです。そして興味を持つこと。楽勝≒苦にならない楽しい授業だったという評価であれば、むしろ勲章だと思うことにしています。

情報は過去に受講した先輩や友達から伝授されるようです。楽だと感じた学生には共通点があります。
「自然がこれほど複雑なしくみから成り立っていると知らなかった」
「アウトドアとはキャンプやバーべキューのことだと思っていたけど、人間にとって大事なことをいろいろ含んでいることがわかった」
「自然を上手に利用しながら厳しい時代を生き抜いてきたおじいちゃん、おばあちゃんたちってかっこいい」
つまり何かを感じ、発見した子です。授業を楽しみ、納得のゆく評価を得た子が楽勝だったと感じているのです。
それはレポートの内容や試験の論述にも表われています。自ら興味を持った学生の記述は中身がしっかり詰まっています。読んでいて面白い。この仕事を続けてよかったと思う瞬間です。

かわいそうなのは、楽単情報を鵜呑みにし、最後まで授業に出てこなかった学生。レポートも試験の記述も、優等生風に取り繕ってはいるけれど陳腐な正論で、中身はスカスカ。つまり自分の意見がない。というより、意見のベースとなるものがない。
当然ながら、そういう内容には厳しく接しなければなりません。気の毒ですが、何割かの学生は「ぜんぜん楽単授業じゃねえじゃん、話が違うよ」と臍を噛む結果になるでしょう。