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フェイスブックにボラの味の話題をあげたところ、予想外に食いつきが多かったので懐かしの写真とともにブログにも張りつけます。

今から約20年前の利根川河口の風景です。長い長い釣り竿と(手前の人の竿はなんと1本ものの真竹)、赤い風船の疑似餌をつかった冬の掛け釣りは風物詩で、最近はよくわかりませんが、この頃は仕立て船もありました。

地味なテーマ専門の私は、じつは『竿をかついで日本を歩く』という釣りの本も出しているのですが(98年刊行、現在絶版)、この中で当時まだ利根川では盛んだったボラ釣りをルポしつつ、食味については「微妙」と評しています。

浅海に接岸する魚の中では大型で、群れで行動するため漁獲量も多いボラは、かつてはどの地域でも重要な資源でした。能登のボラ見櫓はその象徴です。江戸の魚類図鑑『魚鑑』は、ボラについて泥臭くなくして甚だよし、と書いています。

成長につれ名前の代わる出世魚として一目置かれ、若魚の呼び名のイナは、粋の代名詞「いな背」の語源です。伊勢参りの精進落としのごちそうとされた「伊勢鯉」は、ボラのことだったそうです。

しかし、そんなボラの評価は戦後一変しました。生命力の強い魚ではあるがゆえに、水俣病や四日市公害問題の際は負のシンボルフィッシュとなり、釣り人からは釣っても臭くて食べられない猫またぎと蔑まれるようになりました。

そんな状況の中でも、田舎には高度経済成長以前の、きれいな水環境で育ったボラの味を知るじいちゃんたちがいて、写真のように釣りを楽しんでいたのです。

でも、じいちゃんたちは、ボラの味がもう昔と今とでは違うこともよく知っていました。
肥料袋にいっぱい釣ったボラを「どうするんですか」と聞くと「子供も孫も箸をつげねがら、畑の肥やしにすんだよう」と寂しく語っていたのを思い出します。

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