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フェイスブックの双方向性はとてもユニークで面白いと思うが、人って実際何人ぐらいまで関係性を意識していられるのか?
雨なので、人類学系ノンフィクションの傑作『Human』を読み直していたら、日頃から感じていた素朴な疑問を解く、オモシロイことが書いてありました。

だいたい150人。サルの仲間の場合、1頭の個体が一度に築ける関係性は大脳新皮質のサイズに規定されるそうです。
テナガザルは15匹、ゴリラ34匹、オランウータン65匹。実際の群れは、だいたいこの仮説にあっているのだとか。
ヒトの場合、正式には148人だそうです。

で、この説を提唱したダンバーという学者さんは、世界の狩猟採集民の集団を調べたそうな。
すると、共に狩りをしたり寝泊りするバンドでは30〰50人と少ないものの、同じ水場を利用したり祭りや儀式を一緒に行なう氏族では150人くらいになることがわかりました。
戦争をするときの集団サイズも同じ。ローマ時代の軍隊の歩兵中隊も、近代の中隊も150人くらい。
同じ釜の飯を食い、互いの顔を覚えて命を預け合える範囲の単位って150±のようです。

そういえば、私が住む団地は、このあたりではまとまりがよいと言われているのですが150世帯ぐらいです。

じつはこの章では、フェイスブックの友達の数についての考察もあります。
ほとんどの人は200人以下の友達しかおらず、200人以上いても、そのうち相当数はほとんど、あるいはまったく知らない人たちだと書いてある(わかるわかる。実際そうだし)。

人間の交際範囲の核(つまり濃い関係)は、結局、大脳新皮質の限界である150人くらいまでだけれど、名刺交換的な関係性でつながる広く薄いネットワークも、そう悪いものじゃないんだよと、というようなことも書かれています。

なぜなら、革新的な技術は、つねに大きな集団の中から生まれるものだから。そういう法則もあるのだそうです。
では、経年と共に拡大と希釈化へ向かうFbのつながりは、これから何を生み出すのでしょう。
パンドラの箱をあけちゃったってことだけはないように願いたいですが。
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富士宮市の旧芝川地区で毎月1回開かれている物々交換会に、取材を兼ねて参加しました。
感想。オモシロすぎる! 

物々交換は貨幣が登場する以前の交易システムで、経済の原型といわれています。
持ち寄ったもの価値を互いに値踏みし、納得すれば交換成立。
で、そのうち、量目を増やせだとか、不満ならほかの人と交換するよといった駆け引きもでてきて、儲かっただとか損したという感覚が生まれてきます。
取引はその後貨幣を介すようになり、経済社会というとてつもない装置になっていきます。

商取引の基本は自分が損をしないこと。そのためにはさまざまな仕掛けがあります。それを私たちはビジネスと呼んでいます。
フレンドリーな雰囲気のフリマなどにおいても、私たちはときおり、出店者の笑顔に「あきんど」的な匂いを感じます。

でも、富士宮の物々交換会には、そういう空気がまったくありません。
そこで交換されていたのは「財」ではなく、物に託した「気持ち」と、会話による情報でした。

基本的なルールは、手づくり品を持ち寄って交換すること。そして、これいいな、と思ったものを持ってきた人に交換を申し込む。
一応、目安として一品の相場を300円くらいと決めているのですが、実際には皆さん太っ腹で、等価性などあまり考えていません。
心意気で気軽に交換しあい、会話を楽しむ。雰囲気としてはプレゼント交換会で、ギブ&テイクですらなく、ほぼギブ&ギブです。
そう。田舎に今もあるおすそ分け文化を、イベントという装置に変換したものがこの物々交換会なのです。

とはいっても、人間は際限なく無償の愛を提供できるわけではありません。
ふだん私たちがなんとなく使っているコミュニティーという言葉、それはギブ&ギブの感覚が通用する範囲をさすのではなのかと思いました。

その感覚が及ぶ範囲とは、必ずしも居住距離に規定されるものではなく、ものの考え方や価値観にもかかわりがあります。というわけで、けっこう遠いところから参加した人もいらっしゃいました。

もうひとつ感じたこと。それは、物を手づくりする技術を持っているというのは、なんと豊かであるかということです。一人一芸しか持ち合わせていなくて、⒑人集まれば十芸になる。1種類を交換に持っていくだけで、5,6品のものが手に入る。

こういう場では、ワタシのような概念屋、講釈師は小さくなっているしかありません。でも著書という数少ない手づくり品があったことを思い出し、並べたところ、野菜や山菜、調味料、シカの肉、古代米など、さまざまなものと交換していただくことができました。
すごくオモシロイしくみですので、皆さんのところでもぜひ。
興味のある方は、現在発売中のBE-PAL7月号「ルーラルで行こう!」をご覧ください。
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小学館の『月刊BE-PAL』に、2004年から11年間、計126回にわたり連載してきた「ゲンキな田舎!」。ここ数号見ないけど、ついに打ち切り? という問い合わせを多くの方からいただきました。
御心配なく。今発売中の6月号から『ルーラルで行こう!』というタイトルで、装いも新たに再起動中です。地方に起こっている、あるいは萌芽している現象を自然派の目線でウォッチするというスタンスは一貫しております。
国が言い出した「地方創生」なる言葉の用法についてもきちんと監視しながら、内発型のムーブメントを追いかけていこうと思います。6月号のテーマはクラウドファンディング。7月号のテーマは発売前につき内緒ですが、面白いこと請け合いです。
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5月28日(木)より、吉祥寺のオーガニックベース『食堂ヒトト』にて、大橋弘写真展『野鍛冶』が開始まっています。会場には、私が大橋さんとの取材の際に集めた全国各地の働く刃物が展示されています。マクロビ料理を食べながら、鍛冶職人の写真を眺め、実物の鍛造品にも触れることができるという前代未聞のコラボレーションです。刃物だけに、知らずにやってきたお客さん(とくに女性)のなかにはギョッとする方もおられるようですが、ある意味では確信犯であり、そのへんの感覚から揉みほぐしたいというのが企画意図です。6月22日(木)まで開催です。好評につきフイゴや玉鋼も追加展示しました。4日(木)19時からは大橋弘、かくまつとむと、いわき市在住の鍛冶屋で研ぎ師の鈴木康人さんによるスライドトークショーも開催されますが、会場スペースに限りがあり、すでに予約で埋まっていた場合はあしからず。食堂ヒトト 武蔵野市吉祥寺南町1-6-7-3F 0422-46-0337
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野面積(のづらづみ)というのは、自然石で組んだ石垣全般をさすのだと思っていました。事典にも、そんなふうに書いてあります。

穴太衆積み棟梁の粟田純司さんによれば、ちょっと違うそうです。
穴太衆とは、信長の安土城の石垣築いたことで一躍名を馳せた石工集団です。

野面積は、ジグソーパズルのようにランダムでありながら、全方位において力学的破たんのないよう自然石を組んだ石垣を指すのだとか。

棚田などを見ると、網代編みの笊のようなリズムで、斜め互い違いに自然石を積んだ石垣を見ることがあります。こういう方法は「落とし積」と呼ぶそうです。誰にでも積める簡単な方法ではあるけれど、こらえがたりない。つまり強さがない。

本来の野面積は、それぞれの石が最も座りのよい状態を保ったまま、縦方向に切れ目ができないよう、品の字を連続させるように組みます。
でも、自然石は形も大きさもさまざまなので、なかなか思い通りには組めない。石の声が聴こえるまで向き合わなければならないそうです。

石垣の強度を支えるもうひとつの要素は小さな石。大きな石の間に挟み込んだ小さな石は、地震などの際にショックアブソーバーとして機能します。小さな石が砕けたり、はじけ飛んでくれることで圧力が緩和され、大きな石の滑りが止まるのです。

築城ブームの後期には、自然石に代わって大きな切り石が多用されるようになりますが、表側をぴたり合わせる見栄えにばかりこだわり、全体の安定性はあまり考えられていないそうです。
古い技術のほうが優れていることも多いんですよ、という言葉も印象的でした。

詳しくは、現在発売中の『サライ』5月号「サライ・インタビュー」をお読みいただければ幸いです。
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シーバスリーガルが、日本産ミズナラの樽で貯蔵したウイスキーを出したらしい。
それだけ日本のウイスキー市場が盛り上がっているということですかね?
 
ミズナラといえば、ニッカの竹鶴政孝も最初は道産ミズナラで樽を作ったという話を、以前担当したウイスキー職人の取材で聞いたことがあります。

秩父のイチローウイスキーにもミズナラ樽熟成があり、これはうまし。

ジャパニーズウイスキーと胸を張っても、樽は輸入ワインやシェリーのおさがりで、
(もともとウイスキーというのは空き樽のリサイクルから生まれているわけだけど)
日本のウイスキーといいながらモルトまで輸入品だという時代が長く続いてきたので、
イチローモルトのミズナラ樽貯蔵を見つけたときはうれしかった。

あっ、シーバスの話でした。このミズナラ樽貯蔵もきっとうまいに違いない。
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拙著『糧は野に在り 現代に息づく縄文的生活技術』が、農山漁村文化協会より発売されました。

「人間と自然の本質的関係」をテーマに取材を始めたのは10年前。通底する芯柱は同じとはいえ、読者も方向性も異なる3つの媒体で連載した20編あまりのルポルタージュを、ひとつの作品として整合化させるのはなかなかめんどうな作業で、加筆や修正にずいぶんと時間がかかってしまいました。

狩猟・漁撈・採集という暮らしの技は縄文時代から存在します。今はアウトドアという言葉もありますが、海や山、川へ出て糧を得ることは、なりわいであり、今と同様に楽しみでもありました。そしてその技は、お金に依存せずに暮らすための知恵、つまり世渡りの術(すべ)でもありました。

縄文時代は3000年ほど前に終わりましたが、その残景は今も各地に見ることができます。春の潮干狩りや山菜採りもそうですし、有害鳥獣の駆除も狩猟という縄文由来の技術。煎じて飲むと体によい薬草や、用途に応じて樹種を変える工芸の知恵も、縄文から口伝えで申し送られてきたソフトです。

それらの技・知恵は、高度経済成長期までの日本ではどこでも見られた光景です。
そう、縄文はついこの間まで存在していたのです。

縄文的生活技術の基本は、とても単純です。収奪をしないことと、分かち合うこと。糧を得るときは節度をわきまえ、独り占めをしない。これを守れば、人は自然に寄り添って幸福に生きられる。
ネイティブ・ジャパニーズとでも呼ぶべきそんな人たちを、奄美・熊野を中に各地に訪ね、その技術や暮らし、自然観を記録し、必要に応じて私なりに分析を加えたものが本書です。

出版化までの道のりには紆余曲折があり、じつはお蔵入りしても仕方がなかったテーマでした。
筆者がどれほど愛着を持とうと、売れる見込みが立たなければ本にはできません。出版不況が続くなか、著者やひとりの編集者の熱い思いだけでは企画は通せない時代です。会議の場では、売れると断言できる客観的根拠の提示を求められます。

下され続けた判定をひと言でいえば「華がない」。要するにマイナーすぎるということ。

難航の続くなか、一筋の光明をもたらしたのが、バブル崩壊後の“失われた20年”世代を中心とする価値観の変化でした。
20~40代の人たちの間では「収入だけが幸福の指標ではない」と自然豊かな地方でシンプルに暮らしたいと望む人が増えています。彼ら彼女たちは、伝統的なもの、持続的なことに関心が高く、本物・本質・普遍的合理性といったことにも強い感受性をもっています。

もうひとつの風向きの変化が、狩猟の再評価です。
欧米流の環境主義が日本に入ってきた70~80年代、同時に広がったのが「野生動物の命を奪うハンティングは野蛮で残酷である」とする考え方です。
当時の日本の環境状況は、たしかにそういう批判も受け入れざるを得ない状況にありました。
ところがその後、日本の自然は静かに変化を続けます。動物による食害が全国的に拡大し「ずっとここに住んできたが、サルやクマを見たのは初めて」と田舎の古老たちが言い始めました。シカとイノシシに関しては、環境省も「半減」までの捕獲が急務と宣言し、狩猟者の育成支援を始めています。

こうした時代の変化を追い風に、ようやく日の目を見ることになったのが本書です。

というわけで、ちょっとウラ話でした。
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寒さも大詰めですが、畑の土は若草が芽生え始めています。春はしっかり近づきつつあります。カブは種まきが遅れ小粒になってしまいました。でも、とても甘くて味が濃い。ニンジンも育ちにばらつきがありますが、糖度はかなり高い感じ。品種特性もあると思いますが、どうもそれだけじゃなさそう。やはり土(肥料)でしょうか。ソテーやてんぷらにして楽しんでいます。開墾でかいた汗がようやく報われつつあります。ブロッコリー、あんのじょう、葉がヒヨドリの猛攻にさらされていますが、大丈夫。これは観察用で、自分で食べるぶんはネットをかけてあります。同属で外葉の味もよく似ているのに、ヒヨはキャベツに対してブロッコリーほど反応しないのが不思議。
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さきごろ、ユネスコの世界無形文化遺産に登録された本美濃和紙は、美しい白の中にある力強さが真髄。
その保存会会長の澤村正さんにお話を伺いました。

和紙では一般的に縦方向に揺り動かして簾桁に楮の繊維を乗せていきますが、美濃の場合は横揺りを加えた流し漉きで行います。昔から定評のある用途は障子紙ですが、今は美濃紙で障子を張るところは減っているそうです。

「京都には1300ものお寺があるそうですが、その1割でも障子紙に本美濃市を使ってもらえないか。そうすれば、修行を積んでいる若い人たちが、よい紙をすくことに専念できます」

ずっしりと響く言葉です。同時に少し耳が痛かった。

詳しくはサライ2月号をご覧ください。
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あけましておめでとうございます。
今年の干支は羊ですが、手ごろな写真がないので暮れに南アルプスの麓で出会った
好奇心旺盛な若いカモシカをご紹介します。
羚羊とも書きますので、とりあえず平成27年のご挨拶にはふさわしいかと。
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高知県柏島のNPO法人黒潮実感センターから、里親制度に申し込んだアオリイカの産卵状況を知らせる写真が届きました。
近年、アオリイカが産卵する藻場から藻類が枯渇しています。そこで代表の神田優さんが疑似産卵床として杉の梢を沈めてみたところ、画期的な産卵効果があることがわかり、漁師とダイバー、山の林業者、小学校などが共同で設置を始めました。さらなる広がりを目指して取り入れられたのが1口1万円の里親制度です。1万円を出資すると、マイ産卵床を1本設置してもらえます。産卵期になると、名前を記入したプレートとともに、その産卵床の水中写真が送られて、暮れには急速冷凍されたアオリイカも1㎏送られてくるというしくみです。
木の枝にぶら下がっている白いモヤモヤしたものは全部アオリイカの卵です。
先日、アオリイカも送られてきまして、この正月、おいしくいただいています。
「1万円で1キロ? 買ったほうが安いよ」というのは野暮というもの。これは資源回復に直接貢献できる消費です。林業にも、地域の教育にも役立つ生き金です。なにより楽しいし、気分がいい。来年も申し込むつもりです。

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新たな世界農業遺産候補に、長良川(岐阜)の鮎漁文化、みなべ・田辺(和歌山)の梅栽培、高千穂・椎葉(宮崎)の焼き畑・棚田・神楽文化が挙がっているそうです。
自然を収奪しない優れた生産システムと、それを土台にした文化を顕彰し保護しようというのが世界農業遺産の趣旨ですが、個人的にちょっとひっかかったのは和歌山の梅栽培。「養分に乏しい急峻な斜面を梅林として活用。周辺に林を残すことで崩落防止などの機能を持たせつつ、ニホンミツバチと梅との共生を図るなど約400年にわたり高品質な梅を生産してきた」という推薦の弁は、現在の梅栽培の実態とは合っていないように思います。
私の知る限り、梅に限らず果樹栽培地の生物多様性は高くありません。急傾斜地であるため農薬や肥料も河川に流下しやすく、水生生物にも少なくない影響を与えているというのは周知の事実です(もとはといえば梅の実にちょっと黒いしみがあるだけで文句を並べる流通や消費者が悪いんですけれど)。世界農業遺産が重要な要素に掲げる生物多様性の維持とはかけ離れた現実があるようにみえます。

念のため申し添えておきますが、私は慣行栽培を非難しているわけではありません。すでに指定を受けている地域の取り組み(トキと共生する佐渡の農業、能登の里山里海、阿蘇の伝統的な草原管理など)と比べると格がちがうので、出直した方がよいのではと言いたいのです。いや、環境共生型に舵を切るという地域の宣言なのだ、というのなら、その意気や良し、ですが。

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御殿場の国立中央青少年自然の家で開かれた『狩猟サミット』に、発表者と取材者を兼ねて参加しました。いやあ、すごかった。面白かった。刺激的だった。「「野生動物と人間の今」が概観できるすばらしい大集会でした。いい記事が書けそうです。ところで私の名前、ペンネームと思っている人が多く、本名だというと驚かれました。俗世間だと「すごい名前ですね、変わった苗字ですね」っていう反応ばかりですが、さすがハンター、食いつき方が5倍ぐらい違います。「まあ、素敵な名前!」 と目をうるうるさせた狩猟女子もいて、思わず何かを勘違いしそうになりました!
懇親会では吹き矢のワークショップを担当(タイトルは、なんちゃってハンティング)。免許なし、罠・網免許、銃免許、ライフルの順で距離をとるハンディ方式で、バリバリのハンターほど四苦八苦するのが愉快。そこへ突然乱入してきたのは、モンゴルから来た別団体の少年たちです。はじめてなのに呑み込みが超早く、銃やライフルの距離からけっこうスパッと当てる。今度元寇があったら、日本は確実に負けます!
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ちょっと前にご紹介させていただいた、移動スーパーとくし丸の住友社長からうれしい連絡。記事を読んだ方からいろいろ問い合わせがきているのだけれど、みなすごくまじめな人ばかりだというのです。
自分がインタビューして、膨大な会話の中からエッセンスとして抽出したテーマの要点が、ちゃんと届いていることにひと安心しましたが、それってやっぱり、この移動スーパーのシステムがすばらしいからなんですよね。
本部だけがおいしいところを持っていくフランチャイズシステムにはしない。これはビジネスであると同時に、地域資本の小さなスーパーと、地域に根を張って幸せに暮らしたいと考える人と、お客さんである高齢者と一緒につくっていく社会装置、いってみればメディアのようなものなんだという言葉をあらためて思い出しました。
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今日(9月19日)の日経コラムがとてもよかったので、思わず切り抜く。内容は例のシラスウナギの漁獲制限に関する4か国合意について。20%削減というのは正確には前年比20%。今年は不漁の去年の3倍獲れたので、来年に今年の20%分減らしても、なんのルールもなかった去年よりたくさんとってよいことになる。資源管理として実効性がない、まやかしの数字遊びだという論。
だいたいの新聞は「よかった、よかった」と報じるか「法的拘束力がない合意なので日本がよい子にしていても油断ならない3国が守るかどうか心配だ」という論調の中で、きっちり見るべきポイント教えてくれています。今は我慢してでも次の世代にかば焼きの香りと味ぐらいは伝えたい。もう少し自然界の取り分を残したほうがよいというロマンチックな結びは、一瞬、天声人語かあ? と思いました(笑)。この調子で原発やエネルギー問題にも切り込んでほしいね。「持続的な経済ってなんだろう?」って。とくに、あのじいさんたちに!
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老眼に五十肩。体力や根気の低下。記憶力の薄れ(これは元々かな)。
加齢による衰えというのは、若いときは想像もつかなかったことでしたが、だんだん実感する歳になってきました。

日本人の平均寿命は男性が79歳で女性が86歳。世界屈指の長命国ですが、このなかには日常生活を自力で行なえない高齢者もかなり含まれています。
そうした生活困難の入り口が、足腰が不自由になって買い物に出られなくなることです。総務省はそうした買い物困難者の数を600万人以上と推測しています。

買い物困難者は、店舗が少なくバスなどの公共交通も不便な過疎地特有の現象と思われがちですが、じつは都会でも増えています。買い物の困窮度は店までの距離と体力との兼ね合いで決まります。たとえば、自宅から200~300mも歩けばスーパーがあるのに、そこへ行くことさえ難しい人がいます。歩くのがやっとで、荷物を持つことができないのです。家族に車でショッピングセンターまで連れて行ってもらっても、店舗が広すぎて、欲しいものを探す前に歩き疲れてしまう人もいます。そんな買い物困難者向けの移動スーパーが、今から2年前、徳島県徳島市で走り出しました。『とくし丸』といい、タウン誌『あわわ』の元社長・住友達也さんがスタートさせた社会貢献型のビジネスです。

移動販売という業態は、これまでも中山間地などにありました。その多くは自営業者が自分で商品を仕入れて販売するという形でした。公共性が高いことから車の燃料代や車検代分が補助されているケースもありますが、売れ残りなどのリスクも大きく、儲からない事業だというのが一般的な見方でした。参入者がいなければ、買い物困難者問題は解決されません。

とくし丸の特色は、地域資本のスーパーと提携して、ドライバーを販売委託員と位置づけていることです。朝、自分が売りたいものをスーパーから積み込んで出発しますが、夕方5時までに戻れば、売れ残った生鮮品も返品できます。スーパー側がタイムセールスの特売品として売り切ってしまうので、ドライバーは商品に関するリスクをいっさい負う必要がないのです。

エリアの需要調査やルートづくりも運営本部が行なうため、ドライバーは販売に専念することができます。生じた時間や精神的なゆとりは、高齢者とのコミュニケーションにあてます。困っていることを聞き、たとえば食品以外の買い物代行、電球の取り換え、ちょっとした片付け、郵便物の投函といったお手伝いをします。
健康状態に不安を感じればすぐ社会福祉協議会に連絡します。徳島県警とも協定を結んでおり、オレオレ詐欺などの注意喚起もよびかけて回ります。ただ商品を届けるだけではなく、高齢者の見守り役、コンシェルジュとしてさまざまな生活相談に乗る、それがとくし丸なのです。

販売益は、一定の比率でスーパーとドライバー、運営本部で分けますが、定価ではなかなか利益が出ません。そこで設けたのが、商品1品につき10円上乗せする制度です。これをドライバーと運営本部で5円ずつ分けます。
玄関先まで出て来れない人には、その日欲しいものを聞いて車へ戻り、トレイに乗せて縁側越しに品定めをしてもらうこともあります。そうした手間を含むコンシェルジュ的コストを利用者に負担してもらうことで、システムを維持していこうというアイデアです。

 ドライバーの収入は売り上げに比例します。感謝される仕事であるうえに、がんばれば月30~40万円になります。軽トラックを特装した小さな売り場ながら、立派な店であり、ドライバーはその経営者です。
徳島市で誕生したこのユニークなシステムは、高知や広島、京都、東京などにも移植され、大型商業施設の殴り込みで苦戦している地元資本のスーパーも注目しています。

※さらに関心のある方は、小学館発行の月刊BE-PAL9月号「ゲンキな田舎!」をご覧ください。
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岐阜へ鮎釣り行ったたら、タマゴタケのポイントを見つけて小躍り。一応の仁義として釣友に、持って帰る?  と声をかけるも、気持ち悪がって挙手なし。しめしめ♪
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馬鹿と鋏は使いよう、という言葉があるけれど、医療用の鋏は馬鹿でも切れるものでないとだめなのだそうです。使用者が「使いよう」で調節しなければならないようなハサミは、人の命を預かる手術の現場ではアバウトすぎるわけです。頭で考えていることが指先を通じて正確に伝わり、たとえば脳膜のような繊細な組織を切っている感覚まで的確に伝わってくること。それが医療現場に求められる道具の水準です。あっ、切りすぎちゃった!では済まないし、ゴッドハンドと新米医師で違う結果が出てしまうような道具であってはならないわけです。一木医療器製作所さんにて。
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青森県八戸市で復活した焼き畑。ここは6月に火入れを行います。林業(赤松)体系の中に組み込まれている点で特異な焼き畑だといわれています。南部赤松の名で銘木として知られたこの地の赤松の伐採適期は50年。木を売った後に残った太い枝は薪に、残った細かい枝葉を燃やして焼き畑にしていました。作付をローテーションしながら5年で再び松林に戻していきます。この文化を素敵なツーリズムに転換しながら後世に残したいというのが地元の意向。たき火でいえばまだ種火の段階です。立ち消えになるかもしれないし、ありがちなイベント化でぱっと燃え上がり終わってしまうかもしれない。手腕が問われます。
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この春、沖縄県の座間味島と渡嘉敷島が新国立公園「慶良間効率公園」に指定された。
国立公園の目的は、特徴的で貴重な自然を後世に残すことだが、保存・保護だけを目的にしたものでなく、持続的な利用についても視野に置かれている。
ふたつの管轄自治体のひとつ、座間味島を訪ねてみて「なるほど、21世紀の国立公園の選定基準とはこういうものなのか」と感じ入った。
慶良間諸島の自然度の高さは誰もが認めるところである。
この海域のサンゴ礁は沖縄一帯のサンゴの供給源になっているだけでなく、本土の海域まで運ばれて定着する。
ウミガメの上陸数でも我が国屈指で、近年はザトウクジラの回遊も増えている。
国立公園法は、この貴重な海洋生態系を守り続けるための後ろ盾だ。
しかし、この海域には人の暮らしもある。
自然との付き合い方を決めるのは、国ではなく住民である。
島へ渡るフェリーの窓口に面白い冊子があった。
『座間味村ルールブック 自然保護と安全のためのお願い』とある。
マリンレジャーの事故防止だけでなく、サンゴの踏み壊しや産卵に上がるウミガメへの配慮などにも触れている。この島がどんな観光を目指しているか。来訪者にどんなふるまいを望んでいるかがわかりやすく書かれている。
国立公園指定に合わせて作成したのだろうと思っていたのだが、聞けばもう6年も前から作られているという。
「お金を落としてくれればどんな人でもウェルカム」ではなく、
「僭越ながら、来ていただきたい人を選びます。そんな島です」
と書いてあるように読めた。
自然に対するそうした姿勢が選ばれたのだろうと思う。
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みつばちの大地』の試写会に行ってきました。CCD(蜂群崩壊症候群)問題を扱っているとのことで、てっきりネオネコチノイド系農薬の告発ばなしがテンコ盛りなのかな、と思っていたのですが、さにあらず。複合要因説寄りのスタンスで、世界各地のミツバチに起こっている現象を取材しています。アメリカのアーモンド生産と、モダンタイムス化されたアメリカ式養蜂システム、それに、ミツバチの羽音が紙幣を刷っている音に聞こえるという養蜂事業家のコメントを見て、ワタシは「CCD=働かせすぎ説」に一票を投じたくなりました。
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高知県柏島の黒潮実感センターさんがされている「モイカ(アオリイカ)の里親制度」に一口乗りました。磯焼けで減った藻の代わりに間伐材を沈め、アオリイカの産卵床にしようというものですが、じつはものすごい増殖効果があるのだそうです。
このプロジェクトを機に、犬猿の仲だったダイバーと漁師がタッグを組み、さらに学校や山の村の森林組合とも連携が始まりました。里親はより多くの人が参加できるシステムで、1万円の協力金を出資すると、木のメッセージプレートと、秋に漁師さんが釣った冷凍アオリイカが1キロ届きます。プレートは産卵床に取り付けられ、メッセージをアオリイカに読んでもらえるの(?)ですが、長文を書くのは慣れていても、気の利いた一言コメントが苦手です。締切が迫っています。裏面はすでに失敗しているので後がない…。
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4月19日の日経プラス1のなんでもランキングは、朝市。定期市マニアとしては見逃せない…と見てみたのですが、高知の日曜市が見当たらない! 
5位までの順位は、呼子、輪島、函館、高山、勝浦。じゃ、10位くらいまでにはあるだろうと目を凝らしてもありません。
旅の専門家だというこの選者たちはほんとうに目利きなのか? 
それとも、県庁所在地という都会の市だから除外ということなのか? 
高知の人は「日曜市も観光ずれしてきた」といいますが、輪島や勝浦や函館ほど観光客にすり寄っていません。「市」本来の機能が健全に生きています。
個人的には日曜市が「日本一楽しい市」(暫定)です。
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『里山資本主義』が24万部も売れているそうです。BE-PAL連載「ゲンキな田舎!」で、この新しい(?)生き方のモデルとして登場する広島県の和田芳治さんを取材したときは、たしか10万部ほどでした。
里山資本主義とは、私の読み解きによれば、きれいな川や森、そこに連なる田畑がもたらす有形無形の生産力と安心感を、貨幣経済をカバーするサブシステムと位置づけて積極的に活用する生き方のこと。
世界中を駆け巡るマネー資本主義とは対極的な非常にクラシカルな経済のことです。自然が作り上げた有機的なシステムからあまりはみ出さず、マイナスも逆手に取ればプラスになるというぐらいのポジティブな思考で生きれば、地方の暮らしはそう悪くないという内容で、書かれていることは生き方の新しい視軸です。
言っていることはビル・モリソンらが70年代に提唱した「パーマ・カルチャー」とほぼ同じだし、近年出てきた「ダウン・シフト」や「降りてゆく生き方」、あるいは「トランジション」にもよく似ています。私たちが長年提唱してきたアウトドア・ライフも、目指すところは同じ。
本書が大きく話題になったのは、既存社会の否定でも二者択一型の踏み絵でもなく、再評価すべき価値を持つ代替あるいは補完経済として紹介していることでしょう。
キャッチコピーの力は、やっぱり大きい。

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5箱設置して2箱に分封群が入るも、結局失敗して2㎏ほどの蜜量で終わった昨年のニホンミツバチ。今年こそがんばろうと、待ち箱をバージョンアップ。上段の枠を採蜜しても巣板が脱落しないようすべての枠に竹ひごを通しました。
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環境省のエコツーリズムガイド育成研修の巡回指導でおじゃました、徳島県のフリースクール「トエック」さんで見かけた光景。森のようちえんの園児がマッチで着火の練習をしていました。子供に欠かせないのは能動的な行動、つまり好奇心と成功体験です。
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環境省のビジターセンターはいろいろ見てきましたが、静岡県田貫湖の展示システムは秀逸だと思います。楽しくてわかりやすい。それにスタッフが芸人ぞろいで面白い。たとえば富士山周辺で問題になっているシカの増加問題も、楽しい仕掛けで見せてくれます。
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仁淀川シンポの翌日、高知県越知町の横倉山でエコツーリズムの勉強会が開催されました。
川漁師さんの取材に通っていたころ、名前だけは知っていた横倉山。じつは地質学的にも植物学的にも貴重なホットスポットであることを知り、もっと早く足を運べばよかったと後悔しました。

写真は樹齢300年級のアカガシです。屋島の合戦で海に消えたとされる安徳天皇ですが、四国では生存説も根強く、各地に平家の落人村伝説があります。
横倉山もそのひとつで、安徳天皇の墓とされる神社は、宮内庁の参考墓稜に指定されています。
霊地として長年手付かずであったことから、森は照葉樹を中心に極相化しています。
原生林といってもよいでしょう。その象徴的な樹木がアカガシで、これだけの規模のアカガシの森は他にないそうです。

最近、この照葉樹の森に生えるシイノトモシビタケやギンガタケなどの発光きのこが話題になり、これを見ようと訪れる人が増えました。
自然に対する関心が高まることはよいのですが、踏み荒らしや盗掘なども問題になり始めています。

横倉山の自然を守りながら、バランスよく生かして地域活性に結びつけるにはどうすればよいか、というのが、今回の勉強会の趣旨です。

要するに「エコツーリズム」なのですが、日本のエコツーリズムは、地球の神秘や生物の面白さを堪能する海外のエコツーリズムとは違い、人と自然との関わりを感じてもらうプログラムが中心です。
その概念が欧米から入って30年近くになりますが、次第に日本のフィールド事情に合わせて変化し、独自の発展を遂げました。
また、エコツーズムを主導してきた自然学校の多くが地方の農山漁村にあることから、おのずとグリーンツーリズムに似た方向へ収斂していき、今やエコツーリズムとグリーンツーリズムは、プログラムにおいて大きな違いはありません。それゆえにわかりにくさもあります。

私が世話人・理事として参加しているNPO法人日本エコツーリズムセンターでも、ここ数年、この定義と解釈に関する議論が何度も重ねられてきました。
結論は、もはや日本のエコツーリズムはこれまでの概念ではくくりきれないほどの広がりを持ち、また、それを統括する言葉もない。それはそれでよいのではないか、ということになっています。

「持続可能性」「共感」「エコ」「地域貢献」など、幸福の本質につながるキーワードを含んだ交流活動はそう読んでいいし、あえてエコツーリズムという言葉を使わない発信もありだという解釈です(というところで議論は収束したように思います)。

今回は、エコツーリズムとは、特殊なものではなく、誰でもその気になればできるという、考え方の基本あたりのことをお伝えして帰りました。

自然や、地域に根差した歴史、文化に関心を向けさせると同時に、参加者を上手に楽しませる。それがよいエコツーリズムです。

むずかしいことをやさしく。
やさしいことをふかく。
ふかいことを面白く。
面白いことを真面目に。
真面目なことを愉快に。
そして愉快なことは
あくまで愉快に。

故・井上ひさし氏の残した表現論は、エコツーにも当てはまります。

勉強会は今後も続くそうです。今度が楽しみです。
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しばらく滞っていましたブログの更新、また復活いたします。

2月1日、高知市で開催された『仁淀川シンポジウム』に講演者として登壇いたしました。
今年で3回目(たしか)になる連続形式のシンポで、今回のテーマは「川ガキの増やし方」です。
高知県には環境共生課という部署があり、なんと川の担当者がいるのです。

川の環境をよくするためには、次世代を担う子供たちを水辺に連れ出し、五感で自然に触れさせることが欠かせない、というと、多くの人が共感してくれます。
しかし、現実にはさまざまな障壁があります。もっとも大きなハードルが学校です。
もし川に連れて行って事故が起きたらどうするのか。だれが責任をとるのか。
という論理が先行し、川で遊ばない指導がされています。

これは徳島で聞いた話ですが、子供が夏休み、いかに川遊びが楽しかったかという作文を提出したところ、赤い字で返ってきた先生の言葉はわくわくした気持ちへのコメントではなく、ひとこと「川で遊んではいけません」だったそうです。

子供の情操や科学的好奇心、環境教育の芽を、学校教育が摘んでいるという皮肉な現状があります。

子供たちをもう一度川で遊ばせる方法、つまり「川ガキの増やし方」が今回の主題です。
このお題に合わせ『川が流れる地域の幸福~素敵な川、残念な水辺』という題で、全国の内水面の状況と、自然遊びの社会的意義についてスライドを交えてお話しました。

全国と比較した場合、仁淀川がどれだけ健全で恵まれた川であるかということは、多くの地元の方に理解していただけたことと思います。

しかし、きれいな川が流れていても、そこで遊ぶ子供たちがいない、という点が今の問題です。
事前に受けた質問にも、どうすれば昔のような川ガキが戻ってきますか? というものがありました。
はっきりした答えは持ち合わせていないのですが、シンポの数日前に、有名学習塾のT社長から聞いた「ふたつの時間」という考えをお話しました。

ギリシャ神話には、2種類の時間を司る神がいるそうです。
ひとりは、誰にとっても同じ時間の神「クロノス」。もうひとつは、人によって長くも短くも感じる時間の神「カイロス」です。
クロノスは社会を流れる時間で、カイロスは自分の心の中を流れる時間です。

子供たちは、学校に行っている間はクロノス的な時間に支配されていますが、放課後の時間はカイロス的なものだといえます。川ガキがいた時代、これははっきりしていました。授業中は児童で、学校が終わるとカイロス的時間を謳歌するガキに変身したのです。

学習塾のT社長によれば、今、子供たちは一日中クロノス的時間で管理された「児童」のままであり、カイロス的時間を操る「ガキ」にうまく戻れていないのだというのです。

宿題、塾、習い事と、子供の可処分時間がどんどんなくなっている事実はあるとしても、それと外遊びをしなくなっていることは別次元のことだというのです。

塾の学習でもカイロス的回路に子供を誘導することは可能で、学びと遊びの境界を取り払うことこそ教育の理想である、という意味のことをおっしゃっていたのが印象的でした。

シンポでは、絶滅危惧種となった現代の川ガキたちも登壇して、いかに川遊びが楽しいかということを発表しました。ひとりの男の子が「川ガキがいなくなるとつまらない大人が増える」という意味合いの発言をしたのが印象的でした。

感動を知らないまま大人になった人間が語る夢など信用できない、という警告にも聞こえました。
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やっと読了。小説仕立てで読みやすいと聞いていましたが、やっぱり翻訳ものは生理的に苦手です。でも、帯に書かれた「経済には自然の法則が貫かれている」という大意は掴めました。
ecology(生態学)の概念が学問的に体系化されたのは19世紀。生物間の相互依存関係はeconomics(経済)の関係にそっくりなので、それに基づき造語されたのだとか。じゃ、経済の相互依存関係とは何か。おおざっぱにいうと「破綻の起きないしくみ」ということらしい。生物の適応や進化も、経済の発展と広がりも、時間や環境の変化のなかで持続性を維持するための宿命的な動きで、そこへ向かわない変化、あるいは停滞は淘汰されるのだそうです。
経済がそんなふうに捉えられていたというのがそもそも驚き。原発輸出の動きなどを見ると、どうみても恐竜の絶滅期に向かっているようにしか思えないのですけれど「経済が自然に学ぶ番」だと言う訳者あとがきに救われた感じです。
生物種もビジネスモデルも、環境の変化に適応できなければ滅ぶのだと言う論をわがギョーカイに当てはめると……。ちょっとあわてたほうがよいかもしれません。
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長いツブヤキですので、適当にパスしてください。

いろんな媒体に関わっていることもあり、特定メディアでの仕事についてブログやSNSで深く話題にするのは遠慮してきたのですが、今発売中のBE-PAL12月号だけはちょっと書いておきたいな。
この号、けっこう話題になっているようです。以前はアウトドア雑誌でさえ(というより、アウトドア雑誌だからこそ?)鬼門だった「狩猟」の魅力を、特集で真正面から扱っているから。私が知る限り、狩猟について熱く語ることは、ほんのちょっと前までタブーでした。

日本の野生動物は減り続けており、その原因のひとつには狩猟圧があるとして、自然保護系の人たちは狩猟を時代錯誤の娯楽と断じていました。そういう時代が20年以上続いていました。
メディアでも、獲物とのツーショットとか、腹を割いている写真の掲載は言語道断で、R指定みたいな扱い(今も一部はそうでしょう)。
たまさかそういう写真を掲載しようものなら、残酷だとか、見識を疑うと言う抗議の電話がかかってきたりしたものです。生理的に不快だということも多分にあったと思います。
ですから、狩猟を扱うときは、マタギに象徴される「文化性」のようなオブラートにくるまないと世間さまからOKがいただけなかったのでした。(私自身も、そうした方法でいくつかの企画を突破させてきました)

それがここ数年であれよあれよと風向きが変わって、今度は狩猟すごいぜっ、狩りをしようよというムード。背景にあるのはご存じのように獣害の激増です。誰もが予想していなかった自然の逆襲が始まり、ワイルドライフマネジメント(野生動物管理)としての狩猟の有用性が認識され出した。狩猟に関するシンポジウムもあちこちで開かれています。私が所属しているNPOでも、狩猟と野生動物はここ数年のトレンドです。

BE-PALの特集はある意味でタイムリーですし、私も担当連載の「ゲンキな田舎!」では、特集に歩調を合わせ、大日本猟友会佐々木会長のインタビューをとっています。

で、なにがいいたいのか。
狩猟の再評価はもちろんよいことなのだけれど、そろそろ総括と長期展望も必要なんじゃないかってこと。
そもそも日本人は、どんな自然、どんな暮らしを理想としたいのか。生命観に対する議論もタブー抜きでやっていかないと、狩猟も動物愛護もねじれた方向に行ってしまうのではと思うのです。TPPで農業が地方がどう変わるかっていう話も無縁ではありません。

たしかにシカとイノシシの増加はすさまじいものがあるけれど、クマなどは種の保全という点では危険水域にあると認識しています。野生動物とヒトとの軋轢を、ヒトの側だけに立って「獣害」くくってしまうのは乱暴です。

 つい先日、女性ハンターのブログが炎上したと聞きました。原因はぶらさげたウサギ(獲物)との2ショット写真だそうな。そんなので指弾されるなら、1回1000尾を目標にしているワカサギ釣り師なんて張りつけ獄門ですし、今月号のBE-PALではわれら雑魚党のページが復帰していて、魚を釣ってうれしそうにしている写真が出ているわけです。
命の重みは同じ(と、殺生に反対する人はいいます)。しかし、釣り自慢はなんとなく社会的に許容されていて、4足動物を狩った自慢だとアウトな理由はそもそもなんなのか。生理的嫌悪感の一方的な押し付けは、異文化や多様な価値観の排除につながるのではないのか。

殺生に対する感覚は歴史的にも相当動いているわけで、そういう振り返り抜きのまま、狩猟はタノシイという価値観と、うさぎさんカワイイという価値観ががぶり寄っていく状況は、あまりよいことではないような気がします。

個人的に当該号でいちばん面白かったのは登山家の角幡唯介さんの記事。熊野那智大社の御神体である那智滝にのぼった登山者が逮捕された件に対する論評です。登山には表現行動という、ときに狂気を秘めたエネルギーがあるが、登山専門誌はその行為を非常識だとする世間の大方のジャッジに与してしまった。登山が根源的に秘めるエネルギーと世間の感覚との距離感について議論をする絶好の機会を自ら見送ってしまったというような内容です。

狩猟でも、おそかれ早かれ似たような対立軸が顕在化してくるでしょう。どうせなら早く議論が沸騰した方がいい。日本人の自然観を深化させる絶好のチャンスだと思うから。 
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在来野菜を中心に扱っている埼玉県の野口種苗さんの種袋。いかにも昭和な感じでいい。
むしろあたらしい。
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いずれ襲われるだろうと覚悟はしていたのですが、ついにそのときが。金網のガードの設置不良個所を突かれ、巣門を突破されました。まさに戦国の城の陥落。わがニホンミツバチはオオスズメバチの襲来に早々に巣を捨て逃げていった模様。教科書通りの展開です。今年はとても勉強になりました。逃去群、これからだろ冬越しは難しいでしょうが、できれば生きながらえてほしい。
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半年ほど前、農業高校生の取り組みの取材で行った北海道で買った豚肉の醤油。
豚肉専用の醤油ではなく、豚肉のたんぱく質を発酵させて作った肉醤です。

考案者は美幌高校の生徒さんたち。
自分たちが育てた豚にどうすれば付加価値をつけられるか。
出たアイデアが、この肉醤です。

肉醤はかなり古い保存食であり、すしの原型でもあります。
「まるまんま」と名付けられたこの調味料、水代わりに醤油を使う再仕込み醤油をさらに数倍濃くしたゆうなうまみが特徴です。
製法の秘訣かと思いますが、魚醤のような素材臭さがまったくなく、豚肉が原料だと思う人はまずいません。
豚の出荷に合わせ年に2回だけ仕込みますが、すぐに売り切れてしまう人気商品です。
この日も「あの店にはまだ1本残っていた」という情報を頼りに車を走らせ、やっと手にしました。

肉醤は、シカやイノシシなどの有効活用にも使えそうです。

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古い写真(ポジ)を整理していたら、面白いカットが出てきたのでスキャンしました。
もう20年も前、静岡県の中山間地域で見かけた標語。
ヤマイモ掘り追放というのは穏やかじゃない。
とろろ汁が東海道名物になっている土地だから、ヤマイモ(ジネンジョ)掘りは地域文化で、かつ盛んなのでしょう。
マナーや過剰利用などの問題がいろいろあるんだと思います。

どの地域においても、よそ者に勝手に入ってほしくない、というのが土地の人の心情ですが、
そもそも自然薯掘りで山の崩壊は起きますかね?
むしろ、崩壊が起きやすく植物の遷移がしばしばリセットされるから、明るい土地を好むヤマイモが生えやすいのでは?
わざわざ「防犯協会」の名を出しているのも、虎の威を借りるなんとか的。
ここはストレートに「ヤマイモ掘るな!」でよいのではと。

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カブってほんとうに種類が多い。だから楽しい。面白い。埼玉の野口種苗さんにて。
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福島の中山間地で最近ネギ栽培に取り組み始めた農家を取材してきました。主題はあくまで作物としてのネギのハナシなのですが、ここでも獣害の話が出てきます。結局のところ、柵で囲わずに栽培できる作物しか、今は選択肢がないとのこと。この10年ほど、福島ではイノシシの被害が増加しているのですが、福島第一原発の事故以来、耕作できず原野化している土地が増え、輪をかけてイノシシの害が酷くなっているそうです。
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思い込みと言うのは怖いもの。
庭の鉢に入れておいた水草が可憐な黄色い花をつけました。
アサザだと思い、フェイスブックにそう載せたりしたのですが、アサザではないのでは?という指摘を受けて調べてみると、なんとミズヒナゲシという外来種です。
この鉢には、3年ほど前、霞ヶ浦の湖畔に打ち上げられていたのを拾ってきたアサザ(と思われる)株を入れてありました。アサザはキュウリのような黄色い花を咲かせます。
だからアサザだと思っていたのです。
ところが、よくよく見てみると、咲いた黄色い花は花弁が3枚で(アサザは5枚くらい)、しかもトケイソウのようにくっきりとした花芯があります。キュウリの花との共通点は色が黄色いだけです。
アサザではないと気付いた直後は、霞ヶ浦にミズヒナゲシが侵入して、拡大しているのだなと思っていました。
しかし、記憶を整理してみると、少なくとも3年前は、霞ヶ浦でミズヒナゲシが群落化している様子など見たことがありませんし、そんな植物の話も聞いたこともありません。
おかしい…。もういちど記憶をたどると、ひとつ思い当たることが。
2年前、家内が市内の小学校から「アサザ」としてもらい受けてきた株を同じ鉢に入れたことがあったのです。
同じ種類だから同じ容器でよいだろうと思って入れたわけですが、これがミズヒナゲシだったのでしょう。
思い込みで判断せず、やはりその都度、図鑑で特徴を確認することの大切さを実感しています。
こうした誤認は、善意の在来種増殖活動が、かえって外来種を拡大させることになりかねないという、メダカやホタルでおなじみのあやうさにつながります。反省です。

ニホンミツバチさん、やっぱり逃去! やっと入った群れの逃去は、嫁さんに逃げられたくらいショックだとは聞いておりますが、ワタシはまだ嫁さんに逃げられた経験がないので、そのへんの機微がよくわかりません。でも、今後もし嫁さんに逃げられた時は「ハチの群れに逃げられたぐらい悲しいもんだよ」と呟けるかも。
写真は待ち箱をひっくり返して内検したところです。巣板が平行に何枚も並んでいます。ちぎれた部分は蜜がたまっていて傾けた衝撃で落ちた巣板の跡。持ち帰って眺めていますが、ミツバチの巣と言うのはほんとうに精巧にできています。子育てや餌の貯蔵庫にとどまらず、振動でコミュニケーションを伝達しあう情報インフラにさえなっているのだとか。深いなあ、社会性昆虫の世界は。
と、この後、衝撃の展開が。少し離れた場所に置いてあった待ち箱に、ちゃっかり1群入居しているではありませんか。きっと逃去した群れだろうと。逃げた女房が帰ってきた気分かな。
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ニホンミツバチ、じつはその後もうひとつの待ち箱にも1群入りまして、いきなり彼女が倍増。モテ期爆走中です。でも、調子に乗ってはいけませんね。ついにやらかしてしまいました。
動画なんぞを回しながら、もっと中をよく見ようと箱を傾けたら、巣板がドサッと落下! できたての巣は柔らかいと聞いていたんですが、これほどもろいとは…。
梅雨入りといいながら、このところまったく雨が降らず、ハチたちも元気で思いのほか蜜が貯まっていたのと、夏日の高気温が重なり、巣のロウが緩んだようです。
手で持つとふにゃっと曲がって崩壊してしまうほど。どうしようもないのでバケツに入れて持ち帰りました(カメラも手袋も蜜でべとべとだあ)。
まだ蓋がされていない水分多めの蜜で、なめてみるとすばらしい味と香り! みなさん夢中になる気持ちがわかりました。
感動の瞬間はこのように予想外なかたちでやってきたわけですが、気がかりなのは巣板を奪われたハチたちです。1時間ほどパニック状態。刺しもせず、外に出ていたものも潮が引くように箱の中に戻って行きましたけれど、今ごろ示し合わせて逃げる相談をしているかもしれません。こういう状況になると、かなりの確率で群れごと逃げるらしいです。
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ニホンミツバチと出会ってから自然の見方が大きく変わりました。
まず、今まであまり関心のなかった野の花に猛烈に興味が湧いてきました。
ハチが喜ぶ蜜のたくさん出る植物かどうか(つまり飼い主の私のメリット)という視点が加わったのです。
すると、あるよ、あるよ。素敵な花がいっぱいに。
シイの花なんて地味だし生臭いだけの花だと思っていましたけど、これは日本ミツバチにとってけっこう大事な蜜源樹らしい。
外来生物に対して強い問題意識を持ってきたワタシですが、ニセアカシアは非常に優良な蜜源樹であることを自分自身で再認識してから、舌鋒が甘くなった気がします。
「そんなもんどんどん切ったらいい」。これが今までの気持ち。
今現在のスタンスは「荒廃地に真っ先に生えるパイオニア樹木で、在来の自然が健全ならそう侵入はできない。侵入される環境側に横たわる問題について議論するためにも、一種の必要悪として放っておいてよいのではないか、蜜も採れるしね」という感じです。
困ったことに、畑に大敵な雑草であるヤブガラシや、セイタカアワダチソウ(外来種)も素晴らしい蜜源植物なのだそうです。
ああ、困った、困った、矛盾だらけといいながら、含み笑いを隠しきれないワタシです。


ところで写真は、ワタシがコンカツ(開墾活動)をしているフィールドで今を盛りと咲き誇っているイボタの木。
趣味の養蜂家の間では、ハチが狂ったようにやってくるビービーツリーという木(外来種)が話題ですが、このイボタの木はいわば日本のビービーツリーです。
ちょっとびっくりするぐらいチョウやハチの類がやってきて、朝から夕方まで羽音が絶えません。
ちょうどよい木陰ができるので、開墾のときに切らずに残したのですが、今年は蜂蜜という恩恵になって返ってくるかもしれません。『イボタの恩返し』という物語でも書くかな。

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ニホンミツバチの一ヶ月検診。順調なようです。
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開墾畑の脇に設置したニホンミツバチ用の待ち箱に、ついに入居者が!
半信半疑でしたが、入ってくれるものですねえ~(感激)。
集合フェロモンと同じにおいを出す東洋ランのキンリョウヘンを使うつもりでいたのですが、入手した株はまだ若く花が咲かず。「うちのを貸してあげるよ」という友人もいたのですが、それには及ばずでした。
前回確認のために覗いたのは4月28日。そのときは気配なし。GW中が分封(巣わかれ)だったようです。黄色い花粉をつけて帰ってくる個体もいたので、子育てもははじまってるようです。

気にいってもらえたのは、巣箱を設置した環境か、それとも内側に塗っておいた蜜ろうの匂いの効果か。それとも家主の人柄か…。
我慢しきれず上蓋を少しだけそーっと開けて覗いたら、シャーッという威嚇の羽音がしたのですぐ閉めました。新しい巣特有だというまっ白い巣板が一瞬だけ見えました。

繊細な性質で、驚かしたり不快感を覚えると逃げて行ってしまうらしいので、静かに様子を見守りたいと思います。
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ウルシの芽のてんぷら続報です。fbに掲載したところ、いろいろコメントをいただきました。
自分も食べてるよ、という方がおられた一方、
知り合いが食べてのどが大変なことになったというおっかない情報もあり混乱気味です。
料理の途中でトイレにたったときは保持に気をつけるように…和竿の塗りの最中、
うっかりウルシにさわったのに気付かず、性病に罹ったと思い病院に行った友人がいるという情報は思わず笑ってしまいました。
ウルシの実を焙煎したコーヒーの情報もいただきました。これはワタシも岩手県の浄法寺の喫茶店でのんだことがあります。きりっと苦いお茶という感じでした。
立教大の講師控室で、同じ時間に授業を持つグリーンウッド自然体験教育センターの辻さんに「今日、帰ったらウルシのてんぷらやるんですよ」といったら、
「ウルシといえば、以前うちのキャンプに参加した子がお尻かぶれて救急車騒ぎになっちゃって。野外ではお尻は木の葉で拭くべしと教えてたんだけど、ウルシの葉を使っちゃったんだよねえ」と、またまた怖いけど面白すぎる情報が。
話が長くなって済みません。いよいよ料理です。
高枝切りばさみで切ったため枝がついているのですが、この切り口が茶色になっているのは、ウルシオールを含む乳液が空気に触れたためです。これに触ると確実にかぶれるので、軍手をして芽の付け根をぽきりと折ります。
まずい、乳液が出てきました。素手で触らないように箸で衣にくぐらせ、そのま油へ。
いい感じです。タラの芽とかウコギの芽のてんぷらのような質感。
てんぷらにすればかぶれないということは、熱をよく通せばウルシの炎症力がなくなるということだろうなと想像し、とりあえず念入りに揚げます。のどをかきむしるような事態だけは避けたいので。
で、できあがりですが、勝負(?)はこれから。
漆芸家のOさんの奥さんは「5本ぐらいにしておいたほうがよいです」とおっしゃっていました。これはかぶれの問題でなく、山菜類に特有のアクでおなかの調子が悪くなることもあるということかもしれないと勝手に想像しました。
まあとにかく熱いうちにサクリ。感想は…「これ、うまい! タラの芽よりいけるかも」。

家内が遠巻きに見ております。1時間たってワタシの身に何も起きなければ食べてみようという算段です。1時間がたち、2時間がたち、そして一夜が過ぎましたが何事もなし。
Oさんの家では、ウルシの花酒というのを作っているそうです。今度ぜひ呑ませていただかねば。

★追記 この話をfbに書いたところ、自分はウルシの芽のてんぷらをたべて酷い目にあったという方からメッセージが。お尻から始まり全身が蚯蚓腫れになったとのこと。マンゴーでもかぶれるそうです。アレルギー体質の方は食べないほうがよいようですね。
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漆芸家Oさんのお宅の庭のウルシの木が芽吹いていました。ウルシの芽はてんぷらにすると旨いという話を、以前何かの本で読んだか、誰かから聞いた記憶があったので尋ねてみました。「Oさん、ウルシの芽って食べられるって聞いたんですがほんとですかね?」「食べられますよ。うちでも毎年食べてます。てんぷらにするとタラの芽の味そっくりです」「口がかぶれたりしないんですか?」「なんともないですよ」「ほんとに?」「ええ、少なくとも我が家では」「そんなにおいしいんですか?」「ええ、すごくおいしいです。少し持って帰ります?」
というわけで、今夜はぞくぞくするような晩酌になりそうです。体を張ったレポートはあらためて。もししばらくアップデートがなかったら…そのときは…ご想像ください。
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畑に行ったのに野菜でなく野草を摘んで帰るワタシは、やはり変人でしょうか? コンカツ畑につながる耕作放棄の田んぼでセリが食べごろです。いろんなナイフを試してみましたが、セリを摘むときは刃先が鎌型になったビクトリノックスのフローリストナイフがいちばんですね(個人の感想です)。刃先から対象物が逃げないので山菜採取にすごく適しています。ひっぱると根にダメージを与えやすいフキノトウなどにも向いてます。そろそろ湿地の草の中に素手を突っ込むのはあぶない季節になってきました。もちろん万全ではないでしょうが、セリ摘みでは一応マムシ対策にもなります。
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昨夏、都心某駅で見かけた地元の小学3年生たちの絵。動物園にでもいったときの絵でしょうか、タイトルは「おしゃれな鳥」となっていました。よく見ると足が4本あります。この子だけでなく、もうひとり4本描いている子が。子供たちの自然体験や理科離れを象徴する例と言ってしまうのは簡単ですが、そもそも小学3年生時代の観察眼なんてこんな感じかもしれません。ワタシだってムカデの足の正式な本数をいまだ知りませんし、ザリガニの腹脚の数もわからない。歯の本数なんて、そもそも人によって違うらしいしね。そんなことより、このダイナミックな色使いを褒めてあげたい。
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岐阜県山県市の伊自良地区で作られる干し柿は「連柿」と呼ばれています。
干し柿産地は全国にたくさんありますが、伊自良の連柿は、へたにつながったT字の枝にひとつひとつ紐をかけるおなじみの吊るし方ではありません。
竹の串で実を横に貫き、3個1組で固定するのです。その串を稲藁で10段つなぎます。簾のようにつらなるので連柿なのです。
品種は伊自良大実という大正ごろに固定された在来種。干すと味は良いのですが、他の品種とちがってヘタから枝が取れやすいためこういう干し方になったのだそうです。

もうひとつ特徴的のが皮を剥く刃物です。この柿はリンゴのような横向きではなく、板前さんがカブの面取りをするときのように縦方向に剥きます。きれいな真円ではなく、独楽のように尻がきゅっとすぼまった形なので、シルエットに沿った自然な姿に剥くには縦方向でないとだめなのだとか。
ベテランは分速6個のスピードで踊るようなリズムで剥いていきます。
この見事な手さばきのポイントは親指の使い方にある! とみました。

連柿作りの仕事を支える道具が、竹を削った台に柱時計のゼンマイで作った刃をはめた柿剥き専用の鉋です。
これを作れるのは地域にひとりだけ。といっても、昔から地域に2人もいれば十分だったそうで、1丁あたりの単価も安いので本業にはなりません。
作り手がいないとみんななが困るので…と、村役を引き受けるような感じで作っておられました。
ゼンマイ式の柱時計も今は骨董品なので、材料の確保がだんだんむずかしくなってきています。
ゼンマイも厚さにこだわりがあります。1か月巻きだと刃にするには厚く、1週間巻き用のゼンマイが理想だとか…。
たかが干し柿。されど干し柿。あの懐かしい甘さを支えるのは、いぶし銀のような渋い手技でした。

興味のある方は、ナイフマガジン4月号をごらんいただければ幸いです。
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たぶん、海外にいちばん近いところに住むライターだと思いますが、もう10年以上も海外取材のお声がかりはなく、成田空港からフライトしていません。先週乗った新千歳行きLCCで、久々にわが町を空から眺めました。利根川、霞ヶ浦、筑波山とおなじみの景色が次々と眼下に広がります。それを見ながらふと思い出したのが宮本常一の『空からの民俗学』(岩波現代文庫)でした。

かつてANAの機内誌「翼の王国」に連載されたものをまとめたもので、飛行機の窓から見える景色から、その地の暮らしについてあれこれ考察の弁を述べるという、斬新で面白い試みです。たしかに徒歩や車から見える地域の事実と、空から見える地域の事実は微妙に異なっていて、さまざまな発見に満ちています。宮本が「はじめて行った土地のことを知りたければ、まずいちばん高いところへ登って眺めてみよ」と言った意味が、飛行機に乗るとさらによくわかります。
空からの眺めに関連し、宮本常一が存命だったらぜひ感想を聞いてみたいのが民俗調査ツールとしてのグーグル・アースの評価。植生学の調査などではけっこう使われているらしいので。
意外と定期的に更新されているようです。
私が足掛け3年ほど開墾を続けている耕作放棄地を宇宙からずずずいとクローズアップしてみたら、去年の映像はまだ篠竹を刈り払う途中の一昨年の景色だったのに、さっき見たところ、きれいに刈り払われた去年のバージョンになっていました。
排水を促すためH型に掘った幅30センチほどの溝までくっきり写っています(ナスカの地上絵ですな)。

ついでに自宅を上空から眺めてみると、庭のプランターらしきものまで写っているのはともかく、数年前に建てた物置小屋の屋根の角度が、家の向きと微妙にずれていることがいまさら判明。きちんと金尺あてながら平行とったつもりだったんだけどなあ。
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今年読んだ本の中で一番刺激的な一冊(といってもまだ2月上旬ですが)。
第28回サントリー学芸賞を受賞した気鋭の農業経済学者の新作。農業、農作物についてどの立場で関わりがある人にも「不快な読後感」が残ること請け合いです。

かいつまんで紹介しますと、この本では農を取り巻くあらゆる構造軸が批判の対象です。著者は、今や日本農業そのものが巨大な虚構だと言いきります。

有機の本質を理解もせず未熟な堆肥を大量にばらまき、土壌(水質)汚染を引き起こしている名ばかり有機農産物。
顔が見える関係を売り物にし、能書きは立派だが、手抜きと嘘にまみれた産直農家。
国産農産物は安心安全、日本の農産物は世界一だと言う根拠のない断言と過剰な自信。
農地の集約化が進まないのは、法律がやる気のある農家を向いていないから。
ただ農地を相続しているだけのやる気のない兼業農家が、低課税を利用して転売機会を待っている。意欲のあるIターンの若者が必死で農地を探しているのに、条件のよい耕地は遊んでいても貸さない。貸しても、売り時が来たと判断したらさっさと貸しはがして追いだしてしまう。
そんな農家と結託し、不備だらけの法律をくぐり抜けて転用をもくろむ不動産業者や土建業者。
収入の低い農家は、善良な弱者であり守られるべき存在として描かれがちだが、じつ前述のようにしたたかで、多くの農家は兼業収入もしっかりあるので、都市部のサラリーマン世帯よりはるかに豊かな暮らしをしている。
だから営農に実が入らない。にもかかわらず、補助金で所得が補償されている。
補助金はやる気のない農家からさらに気力を奪い制度を有名無実化している。
農業への補助金をやめていっそ農業そのものを全廃したほうが計算上が国民所得が増える…。
ざっとこんなことが書かれています。

一部の現状を例示し「構造すべてに横たわる闇」のように語る挑発的な論法は、学者のもの言いとしてはぎりぎりの線のように思います。そのことは著者自身がいちばんわかっているようで、本書を出したことで自分は干されてしまうかもしれないとも書いています。
その刺激的な言葉づかいを、さらに極端に煮詰めた週刊誌的なキャッチピーで煽っているのが、版元のお家芸ともいうべき編集技術。
これは、数行後にのべることになるマスコミの罪の構造そのままなのがとても皮肉です。

ただ、しっかり読めば乱暴な論ではないし、指摘されていることは事実でもあるのでその骨格に対しては誰も反論の余地がなさそうです。

都市側の責任も厳しく問うております。食べ物の味もジャッジできなくなった、移り気で無節操でバカな消費者。農業の実態を踏まえず「農業ブーム」だとか「田舎には大きな可能性がある」などと煽り、新しい動きはとりあえず過大に美化して成功幻想をふりまく識者やマスコミの予定調和(耳が痛い)。
ことにメディアの罪への言及が深い。経済メディアも農業メディアも、そしてお気楽ライフスタイル系メディアも、こと罪の大きさという点では同じ。
経済の停滞を背景に起こった昭和初期の満州ブームと、今の農業賛美の空気はよく似ていて、それは、自分たちで理想の型枠を作り、そこへ嵌まるだけの美しい事実しか論じない、あるいはステレオタイプな見方しかできない評論や報道の構造そのものに原因があると言う意見は傾聴に値するように思いました。

鋭い舌鋒は全方位におよんでいて、農協も財界も、その間にあるTPP問題も一刀両断です。復興支援としての植物工場も、経営力を磨きあげる儲かる農業も、定年帰農も半農半Xも、奇跡のリンゴも、ノギャルのシブヤ米も、野菜を作りはじめただけで「農業すごいぜ」的に盛り上がる、たとえばブルータスとか佐藤可士和氏も、さらには趣味の家庭菜園までもがばっさりと…(これは明らかに筆の滑り過ぎでしょう)。
6次産業化や農商工連携も、ほぼなで斬り状態(商工業の救済策に過ぎないそうです)。

農業経済が専門の著者からすると、近年注目されている自然栽培などは、農業と呼べるレベルのものではないようです。自立がめったにかなわない技能だから「奇跡の~」なのだと。
著者が理想とする農家とは、マニュアル化できる技術を持った人ではなく、自然と対話し言葉にできない技能を身につけ、それによって経済的にも自立を果たしている、昔でいうところの篤農家のようです。
でも自分が尊敬できる(真の農家として認めることのできる)農家は絶滅の危機にひんしており、今後も増えそうにない。そんな思いが『日本農業の正しい絶望方法』という書名になったようです。
(残念ながら、著者が理想の農家像と例示する人たちの本当の技能的凄さがあまり伝わってこない)

誤解があるとすれば解いておきたいのですが、ワタシはこの本に書かれていることが間違っていると言っているわけではありません。
先にも述べたように、骨格としてはすべて正しいと思いますし、あえて厳しく刺激的な言葉を使いつつも、ものごとを冷静に検証しようとする学者の良心を評価します。その学者の良心に忠実に従ったために絶望感を感じてしまったのでしょう。読後の不快な感じは、ものすごく苦い薬を飲まされた時の感じにも似ています。

残念だなと思うのは、見出しや帯に見られる極端で大げさな断言。著者はそこまで書いていないのに、こと大げさにして目立たせようとするのは、出版業界の悪しき習慣であり、著者が批判しているマスコミのありようそのままです。
タイトルも含め、こういう路線に乗るべきではなかったのではないか?
(販売的には成功でしょうが)
養老孟さんの、なんだか気の抜けた推薦の弁は、読んでいないからだとしか思えません。こういうタイトルの本に名を貸すのだから、もっと言葉を研いでほしい。

私がいちばん啓蒙されたのは、食料はお金のあるところへ優先的に流れて行くので、いくら自給率向上を掲げ食料を増産しても、世界規模で見れば公平には行きわたらない。飢餓問題の本質的な解決には、貧困国の経済力そのものを上げることが先決だというくだりでした。

本書があげつらう「虚構」の世界を信じて田舎に入ったIターン者はショックを受けるかもしれませんが、そういう人たちこそ、著者が理想の農家と位置付ける「自然との対話から農を技能化し自立できる」可能性を持った人材でもあろうかとも思います。

この絶望的予言が正しいかどうかは、少なくともあと10年ぐらい見ないと判断できません。それより、生産人口の7割が、第二次産業どころか第三次産業のサービス業になっている日本にとって、第一次産業を取り巻く問題はなんて、しょせん他人事なのかもしれませんけれど。