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12月7日、構成を担当した『縄文探検隊の記録』(夢枕獏×岡村道雄/集英社インターナショナル新書・860円+税)が全国一斉発売となりました。

書籍としては『モリさんの狩猟生活』(山と渓谷社)に続く今年2冊目のシゴトとなります。

本書はおかげさまで12日現在、Amazonの古代日本史部門で売上1位を走っております。

獏さんは空海や陰陽師などをテーマに膨大な作品を書いてきた伝奇小説の大家。博学のマルチ作家です。
岡村さんは日本の考古学の権威のひとり。伊達政宗の墓を発掘して現代人として初めて独眼竜と対面した方でもあります(公式プロフィールにはありませんが)。

本書は、ふたりが各地の縄文遺跡を歩きながら、縄文社会の実像について議論中を繰り広げるというルポ型対談です。

以下、かなり長い文章で恐縮ですが、読みどころを。

岡村さんから提示されるのは、つねに更新されたばかりの最新の縄文情報です。我われ昭和世代が歴史の教科書で教わった縄文の記述には、今となっては誤ったものや不正確なものも少なくない(縄文人の糞化石とか)。
にも関わらず、訂正されていないままのことが多いそうです。
しかも、縄文時代そのものが、近年は教科書から省略されつつあります。

小説家の獏さんは、ときに聞き役に徹します。しかし、遺物の調査結果からは未だ説明できない、たとえば縄文人が信仰した神々や縄文の精神性などについては独壇場です。該博な知識と緻密な想像力、そして豊富なアウトドア経験から説得力のある推理を披露し、岡村さんを唸らせます(アウトドアってつまり、縄文の暮らしを娯楽化したものですからね)。

テーマによってはさらに各地の専門家を交え、鼎談形式でも進行します。
こんな面白い本づくりに立ち会えたことは非常に光栄です。

本書の読みどころ(抜粋)。

★縄文の食には主食、副食がない。クリを計画的に栽培し、晩期には現在の栽培種に匹敵する大きさの実も作出していたが、かといって主食ではなく季節ごとに廻る野の幸を上手に組み合わせて食を構成してた。クリは建材、燃料としても重宝され、建物の8割近く、薪の4割近くを占める。縄文時代には森林施業、木工技術の原型がすでにあった。

★二大調理器具は石皿・すり石のセットと土器。つまりフードプロセッサーと鍋。じつは貝塚から焼き魚の残骸と思われる焦げた骨はほとんど出ておらず、多くは下拵え後、鍋で煮込んで食べていたらしい(刺身も食べていた証拠はないとか…これは同じ釣り師として信じられないと、獏さんは今も岡村さんに反論しています)。

★鍋で骨ごと煮込むと食材の栄養を余さず活かすことができる。数千年もの間同じところに居住できた背景には、摂取効率を含めた食の安定化の知恵がある。日本列島の真のソウルフードは、誤解を恐れずにいえば寄せ鍋である。

★内陸部から大きなサメの骨が出てくることがある。サメの身は時間が立つとアンモニア臭が強くなるが、そのぶん腐敗菌の繁殖は抑えられる。今も中国地方の山間地に残るワニ料理(サメ料理)のルーツは縄文にある可能性が高い。

★縄文の男たちの大物釣りや狩猟は、じつは食料調達にはあまり貢献しておらず、実質的には女性たちの植物採集や、潮干狩り、浅海のイワシなどの小魚を簾建のような小網で採る方法に支えられていた。つまり釣りやハンティングは遊びの要素がかなり強かった。男が遊べるのはしっかり者のおかあちゃんたちのおかげ!

★にも関わらず、縄文時代は1日4時間も働けば暮らすことができたゆとり社会。当然、ブラック労働とは無縁。そして縄文人はお祭りが大好き。諏訪の御柱祭などはその名残であろう。

★竪穴住居は茅葺ではなく、土を積み上げた構造が一般的だったらしい。再現遺跡に茅葺きが採用されたのは、縄文考古学の黎明期、あまりにもデータがなく建築学の権威に助力を仰いだため。当て推量にちかい仮説にすぎなかったのに、茅葺で再現が試みられるとそれが既成事実化し、竪穴住居=茅葺きということになってしまった。しかし近年、土屋根の焼失住居が東北を中心に出土している。東アジアの民族例、アイヌの例を見ても縄文の竪穴住居は土の家だった可能性が高い。記紀や風土記に出てくる土蜘蛛とは、縄文の暮らしを引き継いだ人々だった。

★竪穴住居の中心は炉だが、ついこの前まであった田舎の家の囲炉裏のように、横座、客座、嬶座的な席次が存在した。囲炉裏の上部で食材を乾燥保存する火天(火棚)も竪穴住居の炉の上にはあった。つまり縄文の文化は少なくとも昭和まで受け継がれている。

★資源的に希少な黒曜石、翡翠はかなり遠くまで流通している。新潟県糸魚川市の翡翠はとりわけ遠くまで運ばれ、大がかりな加工センターもあったことがわかっている。翡翠は交易品というよりは儀礼品で、運搬した人々も商人のような存在ではなく使節のような立場だっただろう。
 当時から高野聖のように身軽に旅暮らしができる社会制やネットワーク網があり、そうした渡り的暮らしを可能にしたもうひとつの要因として、後の富山の薬売りのような「漂泊者が持つ情報の有益性」があったのではないか。つまり宮本常一いうところの「世間師」(しょけんし)的な縄文人がいたのではないか。

★土偶にはおそらくキリング(破壊)の儀式はない。ばらばらに壊れた状態で見つかるのは、アスファルトなどで接着して何度も修理をしていたから。大事に大事にし、いよいよ直せない状態になったら送りの儀式を行なった。有名な合掌土偶(国宝)もじつは出土時はばらばらの状態で、アスファルトで何度も接着した痕があった。

★土偶の意味は今も判然としないが、小さなものは今のお守りや護符のようなものだったのかもしれない。縄文の象徴的なトーテムは蛇、とくに毒蛇のマムシであり、信仰する山の形も蛇信仰との関連性が窺える。

★国宝の縄文ヴィーナス(グラマー)と仮面の女王(スレンダー)=ともに長野県尖石より出土=は明らかに時代性を背負っている。
仮面の女王にはかなり深刻な社会背景がありそうだ。縄文の仮面には能の翁の面との関連性が見え隠れする。翁とは古層の神ではないか?

★世界最古の漆製品は北海道南部から出ており、中国大陸の漆文化よりも数千年歴史が古い。しかも塗りの技術は大陸より高度。
ところが、日本列島にウルシは自生せず、大陸から人為的に移植されたというのが植物学界の定説(結論)。最古の漆製品の元となったウルシ液が、いったいどこからどのように来たのかは謎のまま(ゲストの考古植物学者・鈴木三男さんと岡村さんの激論を収録)。

★国津神である縄文の神は新しい天津神に吸収され、その過程でさまざまな社会矛盾も生じていた。一例が縄文人の直接の末裔である蝦夷討伐。都で処刑された蝦夷の英雄アテルイと空海は同時代の人物であり、空海はアテルイが受けた処遇を都のかなり近いところで見聞きして心を痛めた可能性がある。
空海が考えたのは、古層の宗教であるアニミズムと仏教の整合性を図り分断化した社会を融和させること。
キーワードは山川草木悉皆成仏という涅槃経の言葉だった。生きとし生けるものはすべて仏であり、序列はない。それは縄文の価値観に近い考えだった。
すなわち空海密教は縄文であるというのが獏さん説。

★弥生時代の実質的主人公は縄文人。ある時期、大陸から多くの人たちが米を携えて移住をしたことで弥生が始まったわけではない。ごく少数の人が持ち込んだ水田稲作技術が縄文人に受け入れられて急速に広まり弥生になった。大陸系DNAがぐっと増えるのはもう少し後の時代で、これは多分に権力構造の影響(つまりビッグマンほど子沢山ということですね)。

★縄文人は命が生まれて消えていくことを季節の循環のように考えることで、愛する者の死を極端な悲しみや絶望にしないようにしていた。

ほんとうに長々とすみません。ざっと以上のようなことが書かれています。
書店でみかけたら、手に取ってみてください。

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↓週刊プレイボーイのweb版に関連記事を2回書きました。


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